夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

Kindle Paperwhiteを活用したい(Kindleで欲しい本を晒す)

 先日セールで買って、さっきクリスティをKindle Paperwhiteを使って読了しました。 

 確かに読みやすい。私は紙も電子書籍も別に大きな違いを感じないです。でも電子書籍のほうが集中できるのかなあ?

 

ところで、Kindle Paperwhiteに入れている電子書籍には悩みがあって。

ここ1年くらいは紀伊國屋書店電子書籍を買っているので、Kinoppyで読むことになるからKindle Paperwhiteでは読めないんですよね。

そうは云ってもKindleで小説のたぐいだけでも600冊くらいあるみたいなのでいくらでも読むものはあるんだけど、いかんせん新刊はほとんどないんですよね。セールで買ったものが多い。

 

せっかくそこそこのお金を出したのに、活用できる要素が薄まってもったいない。

じゃあKindleで買えやって話でしょうけど、あえてここでは触れないけど知ってるっしょ、Amazon紀伊國屋書店のウェブストアの売り方の違い。

 

しゃーなしで手持ちのタブレットで読むことになりますが、ノングレアのKindleのほうが読みやすいのは確か。iPad miniでもふつーに集中して読めますがね。

 

Kindleで新刊を買うのをためらう私に、誰か提供してくれないかしらん

 

と、ぼんやり思いながら、公開できるAmazonの「Kindle限定ほしいものリスト」を作りました。

 

Amazon.co.jp

 

 主に、紀伊国屋書店の方でも当面買えそうにないまま旬を逃してしまいそうなラインナップです。1冊以外はだいたい新刊。買ったりなんらかの形で読んだり、読む気を失ったりしたら消すと思うので、随時更新予定。

 

もし誰かから提供していただいたら万難を排して、ほかにやってることがあっても優先してその作品を読んでこのブログでレビューを書きますが、提供者にまったくメリットはねーなー…とは思うので、ただただほしいものを晒していくだけになるでしょう。

 

いまのリストの中身はこちらで、上下巻のものは上巻だけにしています。どれも面白いでしょうし、皆川博子様の作品は何らかの形で手に入れて読むとは思います。欲しい本なので、いつか何らかの方法で手に入れそうだけど、そのまま忘れ去りそうな気もしないでもない。引っ越し控えて前ほどお金を本に使えないのが現状。ただし皆川博子様の本以外。

 

どなたか遊び心で提供してみてくれないかしらん…いやマジでメリットないな。

 

 

 

 100円の本もあります(自分で買えよ)

 

 

21012 アガサ・クリスティ「ゼロ時間へ」(ふんわりネタバレ)

 ( ゚д゚) ←読了2分前から読了1分後までの私の表情

有名な作品なので、ふんわりネタバレします。下手人の名前とかは出さないけど。

残忍な殺人は平穏な海辺の館で起こった。殺されたのは金持ちの老婦人。金目的の犯行かと思われたが、それは恐るべき殺人計画の序章にすぎなかった――人の命を奪う魔の瞬間"ゼロ時間"に向け、着々と進行する綿密で周到な計画とは?ミステリの常識を覆したと高い評価を得た野心作。

あらすじ読まなくてよかったな。話がかなり進むまで事件が起こらなかったのでこれはそういう話ではないのかとまで思うところだったわ。

この本は、私が子どもの頃に両親の本棚にあって、「逃げるアヒル」(スタローンの映画「コブラ」の原作ね)と「マルタの鷹」と一緒にタイトルを覚えていました。たぶんクリスティの本で一番先にタイトルを覚えた本じゃないかしらん。前者2冊は父の、クリスティは母の本です。

 

クリスティをちゃんと読んだのはこれで3冊めかな、ネタバレ知ってるのはいくつもあるけどおとなになってちゃんと読んだ3冊め。

 

事件が起こるまでの下地になる話がかなり四方八方にあり、それぞれがまとまってラストに行き着くのでそこはいいしそういう予感を含んでいるので面白く読み進められました。

冤罪をなすりつけられた娘の事件の真実を父親として見出すのではなく、警部という職業柄わかっちゃうところが序盤の好きなところですかね。でも序盤から胡散臭い部分がありました。物語で重要な役割を演じる男性を力づける看護師の物言いが暗示的なのは千里眼の持ち主の出る家系だからとか。そんな迷信じみたものを根拠にお話を盛り上げるか…って。

 

話の後半までは資産家のカントリーハウス?でバカンスを過ごすために集まった人たちの痴話喧嘩と恋の鞘当てと傍観者の下世話な反応の応酬があり、ダウントン・アビーを始め20世紀初頭の上流階級のお家あるあるですわァとまったり楽しみつつ、感情的な美人のキレっぷりとおバカっぷりがめんどくせーと思っていたところで事件が起こり、それから様々な証拠が提示され、あらゆる人が疑われては疑惑が晴れていきます。

結局誰がなんでどうやって起こしたんやろ?ってことに読者が謎を解く余地はなく、物語が進んでいくのをボーッと追いかけていくと、奇跡が起こるんです。

 

わたしゃー、こういうミステリで奇跡が事件を片付けるのは、嫌ですわァ

 

でもこの事件の謎が説かれることで救われた人が奇跡だ奇跡だって盛り上がってる。

しかもどういう経緯か、とんでもねーゴールインを見せた。

 

結果この顔→( ゚д゚) なんちゅー閉じ方すんねん、アガサおばさん…

 

サイコパスが犯人なのは犯人にしやすいからだと思うんだけど、アガサ・クリスティ以前にサイコパスが犯人の謎解き作品ってあったのかな。一見普通の人に見えるのも利点だよね。

あとサイコパスだから殺人を犯すというのもあるね。

 

感動もカタルシスもなく、ただただドラマを傍観した気持ちでしたが、まあそれでも最後まで読めたんだからお話づくりがうまいし、面白かったんでしょうよ。他の作品も読みたくなりましたよ。ポアロの名前が出てきてびっくりしたけどこの作品はノンシリーズです。

 

この作品に出てくるオードリーのような事情を抱えている人とかを実際知っているから書けるような表現があり、人間観察眼とかはたしかなんでしょうね。一通り謎が明かされると彼女の振る舞いや描写にも納得がいく。

しかし変な終わり方だった。

しばらく思い出しては首をかしげるでしょうな。

21011 ジョン・グリシャム「グレート・ギャツビーを追え」

 これは邦題が大勝利。

プリンストン大学図書館の厳重な警備を破り、フィッツジェラルドの直筆原稿が強奪された。
消えた長編小説5作の保険金総額は2500万ドル。
その行方を追う捜査線上に浮かんだブルース・ケーブルはフロリダで独立系書店を営む名物店主。
「ベイ・ブックス」を情熱的に切り盛りするこの男には、希覯本収集家というもう一つの顔があった。
真相を探るべく送り込まれたのは新進小説家のマーサー・マン。
女性作家との〈交流〉にも積極的なブルースに近づき、秘密の核心に迫ろうとするが……。

あのグリシャムの新たな魅力を楽しむ
本好きのための快作!

〈独立系書店店主が事件の鍵を握る!?〉全米ベストセラー

読書会向けの作品だと思う。すごく議論できる。ジョン・グリシャムは何を書きたかったのか問いたい。

ただ脂の乗った中年の悠々自適で意欲的な仕事をするおじさんが若い娘さん相手によろしくやる話を書きたかったのか。

巧妙に盗み出されたフィッツジェラルドの直筆原稿の行方を書きたかったのか。

おじさん=作家が小説の書き方、あり方、稀覯本の魅力を語りたかったのか。

 

話を追うごとに物語の様子が変わっていってあちこちにスリルの要素が散りばめているのに収束がそこ?っていう、そういう意味では面白くて先の読めない作品でした。

翻訳が村上春樹グレート・ギャツビーというかフィッツジェラルドの作品が重要な存在で出てくるので巨大なプロジェクトの動きになるのかと思ったらそうでもなし。

 

これが映画だったら大掛かりな部分を緊迫感ありありの演出で予告編で見せそうなんだけど、蓋を開けてみると「カミーノ・アイランド」というフロリダにある島にある独立系書店をそこそこの遺産を手にした本好きの青年が買い取って並々ならぬ努力で成功を掴んでいった話から、スランプを抱えた実力ある女性作家が盗まれたフィッツジェラルドの生原稿の行方を探るために子どもの頃に夏を過ごしたカミーノ・アイランドで過ごすことになる話になって、多少の緊迫感はあるかもしれないけど、どちらかと言うと飲んだり食べたり本について語ったり、海辺で悩みを抱えたり事故で亡くなった祖母を思って過ごすのんびりした側面もあり、妙にチルアウト感もあって私はなにを読んでるんだっけ??って気になるような、語り口がうまいのでそれならそれでと委ねちゃうような。

 

あらゆる側面から居場所を探られる生原稿…というよりマーサーのロングバケーションと書店主ブルースの繁盛記のほうが原題の「Camino Island」からはしっくりする。が、これだったらたぶん村上春樹翻訳でもそこまで注目されないので、「グレート・ギャツビーを追え」というクライブ・カッスラーかよ!って訳者あとがき読む前から思っていた邦題にして、セールス面では正解だし読んだあとも「まあ…合ってるっちゃあ合ってる」ってモゴモゴ言えるかな。

 

生原稿の強奪、追跡も面白いけど初版本や稀覯本に関する蘊蓄も好きだったら面白いし読ませる。

でもブルースがマーサー相手に稀覯本自慢したいおじさんになったり稀覯本に癒やしを求める変なおじさんぶりを見せたりしつつもただただマーサーを美味しくいただきたいおじさんになっちゃってるのがやっぱり私の村上春樹への偏見から逃れられないセックス絡めるの大好きおじさんのイメージに近くて、とても相性がよかったんですね、と思いましたね。このへんのおじさんの趣味全開の展開はゼロ世代で滅びたと信じていたがなかなか滅びない。

文才があって大学で創作の授業を持っているスランプを抱えた作家がそんな美しいプロポーションの美人である必要があるのかどうかわからんが(そんな人いねーよとは言えないほどに、見た目のいい作家さんもいます)、独立系書店を切り盛りする中年がハンサムで美人の妻がいながら妻がお互いの不倫を容認してセックスもうまいとかそんな都合の良い設定は今どき冷めるよなーと思いつつ、先日成田美名子先生がCIPHERのことで対談みたいなのをしていたときに綺麗じゃない人を書いても面白くないみたいな感じの(もっと賢い言い回しだったような)ことを仰っていて、やっぱり作家のモチベーションとしてかっこよさげな主人公に自分を投影したいし、なんか若い娘とねんごろになる夢を盛り込みたいのかもね、と思ったのでした。感情移入したかったらそりゃあ美男美女だらけのほうが好きな人もいるでしょう。私もそういうところが無きにしもあらずだけど、書いたのがおじさんだから冷静になっちゃった…

 

ラストまで読んでみれば数々のなんてことない描写が実は意味があったってところもあるのでミステリの要素もあったか。人の期待する部分にもよる。

 

私が気にったのは、独立系書店のオーナーのブルースがすごく頑張ってお店を成功させていくところですね。もともと小売店雇われ店長だっただけに、私に足らなかったのはこの部分なのかもなというのを随所に感じました。彼のこの頑張りが物語にとって本当に重要なのかどうか、この辺の描写があるからいろいろ説得力を帯びてくるので決してムダじゃないし読み物として私には興味深い。いい仕事をする人が出る作品は好きです。この作品にはいい仕事をする人がちょいちょい出てきます。怠惰に過ごしている人もいるけど、その人にはその人の役割がある。

 

村上春樹が翻訳するだけあって文芸系の趣も強く、ミステリと言い難いあたりに読んだ人といろいろ語れる要素があると思いました。村上春樹の翻訳を読んだことはそこまでないと思うけど、グレート・ギャツビーは持ってます。でも読んだのは新潮版の「グレート・ギャツビー」だから野崎訳。すごく好きだから2回読んだし原書もぼちぼち読んだ。

あんまり訳者あとがきとか読まない方なのですが、これは読んで面白かったです。

めっちゃデカいツッコミができる。「おおおおおい!」って声を上げたくなりました。さすが村上春樹

この本で扱われるべき生原稿って他の作者の他の作品でも良かったかもしれないけど、フィッツジェラルドの作品だったから村上春樹との縁ができた気がしました。あ、キャッチャー・イン・ザ・ライでも大丈夫だったか。

 

これはおじさんが好きだと思うので(最低の偏見)おじさんは読むといいです。なんと、続編もあってそれも村上春樹が翻訳するらしい。(後日:村上春樹は訳しませんでした!)

私も気に入ったので(ブルースのドスケベぶりはちょっと嫌だけど)読むと思います。

 

 

オリーブや1990年代のサブカルで育った私がいま見た小山田圭吾と小沢健二

この記事では小山田圭吾及び小沢健二についての私見を書くけれど、彼らの商品など一つも紹介したくないから小沢健二が問題になった記事で挙げた作家の作品を引用しておこう。

ヴォネガットを語る女の子をdisっていて、女性蔑視とも取れる。1990年代だからアリの言動かもしれないけど、そういう考えが根っこにあるような人であるのも残念ね。あのころでも別に女性蔑視しない素敵な人はたくさんいたんだものね。

 

初めてフリッパーズ・ギターを知ったのはドラマの主題歌に「恋とマシンガン」を使われていた頃で、小山田圭吾のソフトな歌声と軽やかなギターサウンドをいいなと思った。そのドラマがTBS系だったので年末のレコ大だかその関連番組の生放送で彼らがパフォーマンスをすることになり、司会の板東英二楠田枝里子さんが彼らを紹介するにあたって、彼らを全く知らなかった司会者を彼らが軽くおちょくる、というのが動く彼らを見た最初。おちょくられて戸惑いながらも体裁を取り繕って紹介する司会者が、よくわからないながらも気の毒に思えた。

当然、音楽性はいいけど感じの悪い人たちという印象を持った。

後々、片方が東大出身だかなにかだとかどうとかを知って、なるほどあの態度は学のある人がよく調べもせずに紹介しようとするのをからかったんだなという解釈をした。性格は悪いんだろうなと。

小山田圭吾には大した印象の変化もなく、音楽性はいいけどそれ以外は性格が悪そうだしあんまり知らなくてもいい存在と処理して、シングルやアルバムを初回限定で買ったりするも、コメントや記事などはほとんど目を通したことがなかったし、周りの評判も興味を持ってこなかった。ウィキペディアで調べることもなかった。中村一義方面から親のことを知ったりはあったけど。*1

 

小沢健二のほうはソロになってからの売り方がオリーブ少女サブカルクソ女にフィットするものだったので、自分の学歴や先祖や生まれや育ちを露悪的に話すのも魅力のうちだろうと非常に好意を持ち、ライブにも行った。親友やお婿や地元の友達と多数で夜中まで大騒ぎした思い出。

ロッキング・オン・ジャパンも、私はアーティストの記事なんかほとんど興味がないけど写真の良さと楽曲レビューは読みたくて定期購読していた。小沢健二の記事はわりとこまめに読んでいたと思うが、本屋でいっぱい万引したという記事は、表紙は見覚えがあったので買ったはずだけど知らなかった。

 

小山田圭吾は最近は見てないけど攻殻機動隊ARISEの楽曲や、ETVのデザイン「あ」は知っていて、まあ活動してはるんやなーくらいしか見てなかったような。

小沢健二は息子を出しながらちょいちょいテレビにも出ていて、昔からのオザケンファンが騒ぐのを私も当初は一緒になって盛り上がっていたけれど、いまの感じはそんなにピンとこない状態の上で不倫の記事で冷笑的に親友と話題になるという程度になっていた。

 

そこで、先日の小山田圭吾がオリンピック、パラリンピックの開会式閉会式のスタッフに名を連ねているところからの彼の過去の犯罪に関する記事が話題にのぼり、大して不思議に思わなかったと同時に嫌悪がつのった。

私は小中学校時代に知的障害者の友達がいて、彼のことが大好きでいまもたまに見かけると嬉しくて幸せになる。彼は私のことを覚えてないけど。

しばらく会っていないけれど、親戚に知的障害者の男の子がいて、その子と過ごした日々もかけがえのないものになっている。

子どもの頃から障害を持っている同年代の人と一緒に教育を受ける環境にあって、彼らが困っているなら助けて一緒に楽しいことをして過ごすことを当たり前に思っていた。いじめるとかもってのほか。たまに不届きな人がいたけれど、そういう人から守りながら距離を置いていた。不届き者は自然と自戒するような、自浄できるようなシステムもわたしのいた学校では機能していた。

大好きな彼らが同じ目に遭っていたらと思うと怖気が走る。被害者やその関係者が暴露したのではなく、本人が過去のやんちゃとして(笑)の表現付きで記事にさせているのだから余計たちが悪い。年賀状を晒していたのには正気を疑う。

 

表現はおかしいかもしれないけど貰い事故のように小沢健二の万引き事件もその日のうちに知ってしまった。

小沢健二がソロ活動中から最近まで私は小売業に携わっていることが多く、万引きというか窃盗はそれを防止、摘発するのが商売以上の業務になることもしばしばでした。気軽に盗みやがるアホどもをどれだけ憎んだかしれない。逃げおおせてゲラゲラ笑われたあのときを忘れられない。

 

と、いったように彼らの「過去のやんちゃ」は彼らの作品にお金を払ってきた自分には受け入れがたいものだった。ピエール瀧が薬物で逮捕されたときにはがっかりはしたものの好意はかわらなかったし、不倫でオザケンがネタになったときは笑った程度でどこか過去の人みたいなケリの付け方をしたけど、知的障害者や人種差別などで人を卑劣なやり方で傷つけたことを嬉々として語ったことや、適切に対価も払わず小売店に損害を与えたことを嬉々として語ったことは、幻滅以外のなにものでもなく、「過去のこと」とは思えなかった。

あくまで自己本位だけど、ファンの目線ってそんなものでいいと思っている。薬物や不倫では私は損失は負わないもの。うちは父親が不倫をしまくっていたけれど、バレるような不倫をするやつは馬鹿だとしか思えん。軽蔑はするけど父も含めどうでもいいレベルの他人事。

 

わたしの環境にあって彼らの過去を知ってファンでいたという事実は、誰かがつぶやいていたけど「豚が肉屋を応援するようなもの」に近い。彼らは私や私が大切に思っている存在に近い人達を踏みにじって笑いながら音楽を作ってそれを私は買っていたというのは過去の自分を恥じ入ってしまうほどの衝撃だった。

 

あの頃、キラキラして見えたものに対して妄信的にハマっていたことは、まあ、オザケン小山田圭吾の今回の件がなかったとしても振り返れば素敵でもかっこよくも美しくもないかもしれないけれど、これまで一部の界隈では周知され嫌悪されていたのも知らずに好きだの名曲だのなんだのほざいていたことも恥かしくて気持ち悪い。嫌悪していた人たちに申し訳ない気持ちにすらなる。

普段は過去のお痛を知ったところでそこまで揺さぶられることはないんだけど、やらかしたことの質の悪さと自分で嬉々として明かしているところ、それに対して真摯な反省もないところ、好き勝手やっちゃってるところ、不倫がスクープされてるところ、いま「関わったら負け」の印象が強いオリンピックに関係しちゃってるところからもう、全てを否定したくなってしまった。

 

もはや三次元の誰のことへも不信感を持ってしまい、迂闊に好きというのも怖くなってくるレベル。でも問題は、いじめをやった、万引きをしたというのに加えて、いい大人になってそれを嬉々として語った、ってことなのよ。明かしたくない過去として封印するならまだ可愛いもんだ。

 

でもいま私が過去の彼らを振り返っても、いまの彼らを見ても、思ったよりダメなやつらだったんだなあ、彼らを好きだった私も大したことねーなーって思います。性格が悪そうなのを把握していても盲目的によしとしていたのも考えものです。小山田圭吾が成功し、オリンピック、パラリンピックに音楽を提供する「名誉」を手にすることのごくごく僅かながらも一助になるようなことをした自分は生涯かけて黒歴史にして恥じ入るレベル。

小山田圭吾小沢健二をいままとめて語るのはおかしいかもしれないけど、でも自分の犯罪を面白おかしくインタビューで語ったという共通項まで抱えていたらもうどれだけお互いが嫌い合っていようがまとめていいんじゃないかしら。

 

村上龍がその昔小説「69」で「ウンコには思想がない」と書いたように、排泄物を使った嫌がらせは洒落にならず、唾棄すべきものとしか受け取れないし、それを明かした時点で人には小山田圭吾は「こいついじめでウンコを使った野郎」以上には印象は向上しないと思います。

このままオリンピックでは必死の黙認で小山田圭吾及びコーネリアスの曲をたれ流すんでしょ、ウンコだけにと何度も頭をちらつく。高邁なはずのオリンピック憲章にウンコぬりたくるんやでーとまで思ってもいい。東京オリンピックは選手以外は全然いいものじゃないし。

 

小沢健二に関しては、過去の曲「痛快ウキウキ通り」の

プラダの靴がほしいの そんな君の願いを叶えるため 

万引するんやろ?

 恥ずかしながらもウキウキ通りを行ったりきたり

して万引きするんやろ?

ってツッコミが頭をよぎるから、もうまともに楽しめない。

名曲と思っていた「天使たちのシーン」ですら

神様を信じる強さを僕に

 ってあんたみたいなんが神様を信じたところでバチあたるでって思うし実際いまあたってる感じあるよね。って冷めた気持ちでいます。

 

ウンコも窃盗も、汚点は本来は別物と考えたほうがいい彼らの産物を取り返しがつかないくらい台無しにしたし、好きだった自分も含め、大したことがなかった。しょーもないクズでした。オリーブは素敵だったと信じたいけど、1990年サブカル界隈もしょーもなかった。全否定でいい。それで気持ちがしっくりする。

 

オザケンなんか子どもをアルバムジャケットにしてるけど、この子の父親が紀伊國屋書店でめっちゃ万引してたんやなあって目で見てしまう。子どもには罪はないけど、父親が子どもを自分の商売道具にしているからな…顔を晒すことの危険ってこういうところにも潜んでる。

 

これからも私は誰か別の人を好きだと熱烈に思うことはあるだろうけど、どこかしら冷めた気持ちにはなるだろう。誰が人に凄惨な暴力をした過去があるかわかんないし、それを面白おかしく話すかわかんない。産物だけを好きでいるというのも、割り切ってもいいけど今回は駄目だ。気分が全然よくない。

 

もうさ、遠い昔の人とか文化が違いすぎる国とか、二次元しか信頼できないですね。CM発注に当たりクライアントが心底安心する演者はサザエさんというのも納得。堀川くんとカツオくんは脚本家による脚色のせいでちょっとアレやけど。

絶対的に安心したかったらもうサザエさんを推すのが一番かもね…(そういうものだ、という言葉が頭をよぎったり)

 

ということで、私はあくまで個人的な理由で小山田圭吾小沢健二と、彼らを好きだった自分を全部否定するし、今後の彼らの活動は無視します。嫌いです。

*1:デマが浸透していたけど別人だったとしばらくして判明

成田美名子「CIPHER(サイファ)」をご存知ですか(漫画)

 いま各電子書籍サービスで半額なんですよ。好きなら買い時。

 12歳の頃に同じ塾に通っていた他所の学校に行っている友達が貸してくれたときに、「あ、エイリアン通りのオーディションに出ていた俳優さんだ」という発言をしたのが出会い。エイリアン通りの次の作品の主人公になってるとは思わなかった。

と、いうように、先に「エイリアン通り」をちょっと読んでいたのでサイファのことは知っていました。当時、適当に雑誌を貸したりくれたりする貸本屋さんがあって、いわゆるレンタル落ちで「LaLa」などをうちにくれていたので飛び飛びで「エイリアン通り」は読んでいて。

 

友達でお姉ちゃんがいる人達は姉やその友達から情報を仕入れるから私の守備範囲外の漫画に詳しくてそれを齎してくれることもありました。小学生の頃はもっぱら「なかよし」「りぼん」「別冊マーガレット」「別冊少女コミック」を我が家では買っていて、外からもたらされたのが白泉社系と「ぶ〜け」。もともとSF好きだから、清水玲子先生の作品などのSFファンタジーものに強い白泉社系にハマるのはもう運命のようなもの。

 

そんな中、「CIPHER」はSFでもファンタジーでもないけど(いやある意味ファンタジーか。アメリカの人気俳優とあんなことやこんなことがあるNYストーリーとか)NYの描写や思春期でつまずく人間関係のことなどが丁寧に描かれていてもうどっぷりハマりこみました。

すごかったですよー。小中学生の持てる財力でいろんなグッズを買いました。カレンダーとか。カレンダーはアメリカの祭日が書かれていてあれでちょっと詳しくなった。あと、いま考えたら面白いんだけど、NYからCIPHERから手紙が来るというサービスにも応募して、ちゃんとエアメールで日本語訳がついている英文で描かれているイラスト付きの年賀はがきをもらったこともありました。まだ保管してるはず。

 

あらすじとしては、NYの美術系のハイスクールに通うアニスがシンパシーを感じて同級生で全米でも有名な子役あがりの俳優、サイファと友達になるのだけど、ひょんなことで彼が双子の兄弟と1日交代で同一人物になりすまし、学校へ通い、仕事をしているということを知ってしまう。なぜそんなことをするかを教えてもらうために彼らと2週間限定で同居を申し込み、家に泊まり込んで双子と距離を縮めていく、というのが1巻。

 

これを描かれている当時、成田美名子先生は20代ですが、人間関係の機微や大事なことを本当に丁寧に見つめていてそれを表現できるのがすごい、くらもちふさこ先生でも思うけど、今の私よりもずっとずっと成熟している。

子どもの頃から何度となしに読んでいて、1コマ見るだけでどのシーンか思い出すし、セリフやモノローグもかなりの精度で覚えているけれど改めて読んでみると双子のキャラクターの良さや主人公アニスの性格のいいところなどの魅力を再確認できますね。アニスの真っ直ぐでずるいことをやらない、筋を通すためには騙されたフリや嘘を付くことも厭わないところは多分影響を受けています。でも性格はシヴァ:ジェイクが私は近い。陰キャか!ロンリーウルフ的なところがあるのがシヴァ。

 

いま、元の単行本の1巻にあたる部分を読み終わったんですが、同居が終わったあともアニスとの関わりをやめるつもりがないらしいし家にも来てほしいらしい双子がトイレのダストボックス(使用済み生理用ナプキンを捨てる箱)を作ったり生理用ナプキンを買ってストックしておくという描写があるのを昔はサラッと読んでいたけど今になると、17歳とか18歳の健康的な男の子がやることじゃねーーーー!!とざわついてはおります。こういうものを作ることに関しては伏線があるので、無理な流れではないけれど。

 

サイファとシヴァにはちゃんとした生年月日があるので彼らが50歳を超えたときには非常に感慨深く、2月4日を迎えたものです(本当に好きだから生年月日が言える)

最初は私より年上だったのにねえ…漫画ではピッチピチの17歳とか18歳。

私だけじゃないでしょうけど、ある程度話が進むとどっちがサイファでどっちがシヴァか、わかるようになるんですよ。

 

この漫画のすごいところの一つに、本当にNYに生きている人を描いているから、日本との違いを全然描写しないの。だから作中で2歳違うアニスが双子と同じクラスを受けるとか特に学年の違いを感じさせないことの不思議さがわからず、年齢が違うことに気づいたのが随分先だったり。双子が俳優としてどんな立ち位置なのかもぼんやりにしかわからないけれど、勝手に「リヴァー・フェニックス未満」と思っていました。

もう一つすごいところは、背景描写の精密さ。NYの風景も後々テレビで見ていたら「CIPHERで見た!」ってところがすぐにわかるくらいだし、家の内装もNYのフラットや郊外の家の内装そのままなんですよね。ちゃんと取材されている。

この漫画で相当鍛えられているから、背景が雑な顔マンガが許せない人になってしまうという…でもCIPHERも終盤に先生が体調を崩されたりスケジュールが間に合わないとかで本誌で背景が死んだ瞬間とかありましたけどね。こういう余計なことも覚えています。

 

もちろんここからの話の流れもよく知っているのですが、読み直すと再発見とかあるだろうな。数年前に読み返したときは、4巻あたりのサイファの心の機微にこっちがキュンキュンするわ!と床の上を転げ回りましたが、いまは7巻以降の鬱展開とか人間関係にぐっとくるんだろうなあ。愛蔵版では…とにかく真ん中??

一緒に続編に当たる「ALEXANDRITE」も文庫版の電子書籍が半額だったので買いました。あれ、なぜかラストの試合が終わったところをなんでもないときに思い出します。

 NY、コロンビア大学の学生たちの日々の営みがこれまた丁寧に描かれていて、とても贅沢な作品だと思います。いまどきの少女漫画にはそんなにないっしょ。しらんけど。

 

いまの漫画(特に少女漫画にカテゴライズされるもの)はそんなに読まないから絵のふるさとかわかんないけど、一つの歴史が刻まれていると云っても過言じゃないと思うので、電子書籍でも買ってよかった。愛蔵版はカラー原稿も再現されているし。毎月カラー原稿があることもあったとかすごいな。

1巻でハマって、お小遣いを集めたり親を説得したりして既刊の5巻まで買うの楽しくて嬉しかったなー。4巻がどこに行ってもなかったり。その合間に妹が3巻にサンリオのシールを貼りやがって未だに貼られたままです。

 

愛蔵版と単行本の話がごっちゃになっていますね。

一番好きな表紙はロココ調の衣装を着た泥だらけのアニスが寝ているのを同じ時代のコスプレをしているサイファが見ているやつ。あれもフルカラーで見られるのは嬉しい!

 

単行本で2巻のパートを読んでいて思い出したのが、60色の色鉛筆に憧れて持てる財力で買っちゃったこと。これは弟が真似して同じものを買ったので2組いま持っている状態。

当時キルトも作りたかったんだけど、上手に作られなかったな…いまなら作られるのかしらん。バスキューブとか本当にいろいろ影響を受けていて、当時の単純さと持てる財力にいま振り返って呆れているところです。

 

単行本で7巻、愛蔵版で4巻を読んでいるのだけどこのあたり本当、どうしようもないくらい鬱展開だなあ。当時本誌も買っていたんだけど、突然起こる悲劇にちょっとしばらく何が起こったのかわからなくて信じられなかったな。サイファがしゃーなしで云ってしまうしょーもない嘘が本当にしょーもなくてリアルタイムで読んだときから今に至るまで「まじでしょーもない」と思ってしまう。仕方がなかったとはいえ、もっとマシな嘘をつけなかったのかと。この辺子どもというか、未成年なのよね。様々なことが後悔につながっていくのが悲しい。

二人が離ればなれになってそこで出会う親友が素晴らしいのが救いだけど、私は未だにディーナのことは納得してないかもなあ。でも今回の付録でシヴァが死ぬかもしれなかったって話を読んで死ななくてよかったと思ったのでした。それはマジで勘弁…レヴァインが出る展開でよかった。

 

物語と関係ないけど服の質感の表現がすごく上手で、青森と同じ緯度のNYで着られるコートに重量感があり、いい服を着ている設定だから上等に見えるのが好きです。未だに憧れる。人の顔はそこまで上手じゃないと思ってしまうけど、等身の描き方、服の動きとか漫画のお手本なので漫画が描きたい人は勉強になりそう。

 

いまになって気づいたんですけど、サイファはLAに行ってから買った車がえらく上等。フォルクスワーゲン・カルマンギアとみた。クラシックカー好きとか趣味がいい。さすが物に惚れ込むタイプ…私も乗りたい。

何回も読んでいるけれど、様々な知識を得てまた読み返すと意外なところで意外な発見があるもので、ビッグママが唄う黒人霊歌の訳が南條竹則さんだと知ったのが嬉しかったり、だんだん治安が良くなっていったNYもちょっと知ってるからその変遷がこの漫画でもわかったり。

ツインタワーの存在が悲しかったり。

 

読み終わってしまった…やっぱり名作は名作なのね、何年経っても。

人はいつでもやり直せる、強くなりたいなど様々な成長するためのキーワードが盛り込まれていて、中年になったいまでもいろいろ刺さるし、新しい気持ちになれる。

で、成田美名子先生の漫画を読んでいるといつもなんですが、暮らしのクオリティを上げたいって思ってしまう。丁寧に暮らしている感じが伺える。学生が適切に勉強しているし。そういうところも好き。私、恋愛に振り切って勉強している感じがしない漫画が大嫌いで。

その点この漫画は特にシヴァとレヴァインとハルが学生らしくちゃんと勉強していて、アニスはバイトでキルトを作っていてと他のこともちゃんとしているを見ると私もいろいろ頑張りたくなる。

本筋じゃないところでもちゃんと生きている感じがして好きです。

話の本筋は割とトーンが暗いけど、本来が人間関係を大事にしながら楽しいお話を書く作家さんだから面白いところもいろいろあるのもいい。

 

やっぱり30年とか経っても電子書籍になって根強くファンがいて、私も同世代の人とかとはこの漫画の話は確実にできるだけに、いい作品なんですね。

続きのALEXANDRITEは楽しいことが中心で、ますます生きている感じが強いのでこのまま読みます。このシリーズで一番好きなのはサイファですけど、レヴァインとアンブローシアもすごくいいんですよね。途中で発生する霊障への対処も好きだったし、スカベンジャーハントも楽しかった。セットで読むといいですよ。

そういえばニナ・リッチの「フルール・ド・フルール」を父に香港で買わせたのも思い出した。おまえどんだけこの作品に影響受けてるんや…

21010 M・W・クレイヴン「ストーンサークルの殺人」

 あー面白かった。

イギリス、カンブリア州のストーンサークルで次々と焼死体が発見された。マスコミに「イモレーション・マン」と名付けられた犯人は死体を猟奇的に損壊しており、三番目の被害者にはなぜか、不祥事を起こして停職中のNCA(国家犯罪対策庁)の警察官「ワシントン・ポー」の名前と「5」の字が刻み付けられていた。身に覚えのないポーは上司の判断で停職を解かれ、捜査に合流することに。そして新たな死体が発見され……英国推理作家協会賞最優秀長篇賞ゴールドダガー受賞作。

 やらかした中年と発達障害を匂わせる天才の女性というコンビが出てくるので、「ドラゴン・タトゥーの女」みたいな組み合わせだなと最初はどうかなと思ったのだけど、こちらは関係性が優しかったのでよかった。この二人の関係性は好きです。主人公のポーがいいヤツなんですね。

事件は陰惨でえげつないんだけど、手がかりをたどるための手続き云々がどこの国も大変で確かなものを得るためには裏技や荒技が必要なのも似た感じ。どこも枠組みや縦社会がね…

そんななか、めっちゃコーヒーを消費しながら解決に取り組むのだけど、この物語のいいところは、そのコーヒーですらムダでないところ。ほとんどのエピソードがちゃんと意味があった。

文庫にして600ページ近いけれどダレることなく面白く読み進められました。犯人の動機も、変な趣向の殺人現場も意味があった。しっかりしていたなあ。話の中ではプロファイリングとかで特に言及されなかったけど殺し方を見ると犯人にどういう背景があるのか容易に想像できて、それが間違いがなかったというのも。あと、主人公の過去のやらかしも薄々事実に気づくよね。その辺の語らなさとか、必要なときに語ってくる塩梅が上手。

 

舞台の「カンブリア」がどこなのか当初ピンとこず、私はイギリスが舞台の本をたくさん読んでいるけれどたいていコーンウォールとかロンドンとか、ブライトンとか架空の都市デントンなのでカンブリアもそのへんかなー、カンブリア紀の語源かなーくらいにしか思ってなかったのが「湖水地方」「エジンバラから車で3時間」とかよく出てくるので、結局どこじゃいと調べたら北西部でした。知ったところでイメージは補強されないので、上手な描写が頼りのところがありました。そう、情景描写なども上手なんですよ、この小説。その辺も安心して読める、ベテランで文才のある人の作品のようですがこちらはまだ3作目なんだそうです。

 

満足できる内容の上にこの主人公でシリーズ化しているとのことなので、日本でも続刊があればいいなあ。ポケミスで出してもいいのに文庫で出してくれてありがたいね。

 

充実した気分で読めたなあ。主人公がちょいちょい見るタイプの尖った刑事のようで、あまりくどくはないしもやもやもしない人だった。性的な匂いがしなかったからか。家族の話は唐突な感じもしたけど、あの展開じゃないと他のこともはっきりしなかったのかもしれないね。

 

痛々しい話ではあったけど、読んでいて途中からまあ、あるゲームを思い出してました。

ネタバレになるから隠します。

 

 

 

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ミステリと言う勿れ9巻(漫画)

 たぶんコロナ禍もあって余裕を持って収録してるんやろうなあ。ドラマ化ですって。

 双子の入れ替わりの特定をするつもりが実は三つ子だったと見抜いたところから、ガロくん(と従兄弟たち)の長い長い謎との戦いを経て新たな事件の始まりへ。

 

今回はきょうだいを役割で呼ぶことに言及されていることがあって、歳を取ると呼ばれなくなる方が寂しいという話がありました。

私は下にきょうだいがいるけれど、いままで誰からも「おねえちゃん」と呼ばれたことがないんですよね。母が呼ぶように他の人も呼ぶので「れーちゃん」。甥姪からも「伯母さん」とは呼ばれたことがなく、みんなれーちゃんと呼びます。母が「れいこ」なので周りから「れーちゃん」と呼ばれるので混同しやすく、一緒に返事をすることがしばしば。孫は自分の母親を名前で呼び、母を「お母さん」と呼ぶのでややこしい。

肩書、呼び名というのはある程度役割を自覚させるとか、その組織を組織たらしめるために必要なのかもしれないというのが持論です。おねえちゃんおにいちゃんという呼び方は大切。私は姉の自覚がないままきょうだいとのつながりもきょうだいという感じじゃなく、一緒に暮らしたことがある年下の子という印象が強いです。顔も性格も趣味も似ていないから余計そうかも。

役割を求めないならいらないけれど、家族とか絆とかを大事にしたかったらアリかもねーと思ったのでした。でも姉だとか兄だとか重たい役割を与えられるのはしんどいだろうな。

 

 

 時々この漫画を読んでいて思うけど、整くんがいたから良かったんだけど「老人と海」を知らないメンツだと死んでいたかもと思うと結果オーライだけどあのおじさんもひでえなと思ったのでした。

 

今回の後半の物語、意味とか目的は後々明かされるんだろうけどこんなん巻き込まれるのが嫌だし整くんの歯切れの悪さが気になります。たぶん、青砥さんが信じてる冤罪事件の真犯人がやっぱり冤罪だってわかってるからもあるのか、マジな事件だから余計なことは慎みたいと思っているのか。

すごいぶった切った感じで終わったので、これは本誌では続きが一緒に掲載されたんだろうなと、前にも(宮島編)こういうことがあって、気になってモヤモヤするのですぐに本誌を買っちゃったんだな…

 

カバー表紙折返しの田村先生の文章の「40年近く漫画を描いてきて」という言葉に声にならない声を出したのは田村由美先生のファンでどのくらいいるだろうか…(デビュー作から持ってる)

 

 ※いま調べたけど、8月号で「続きが読める」らしいです。あれで7月号は終わりだったのか…本誌派は焦らされましたね。