夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

ミステリと言う勿れ9巻(漫画)

 たぶんコロナ禍もあって余裕を持って収録してるんやろうなあ。ドラマ化ですって。

 双子の入れ替わりの特定をするつもりが実は三つ子だったと見抜いたところから、ガロくん(と従兄弟たち)の長い長い謎との戦いを経て新たな事件の始まりへ。

 

今回はきょうだいを役割で呼ぶことに言及されていることがあって、歳を取ると呼ばれなくなる方が寂しいという話がありました。

私は下にきょうだいがいるけれど、いままで誰からも「おねえちゃん」と呼ばれたことがないんですよね。母が呼ぶように他の人も呼ぶので「れーちゃん」。甥姪からも「伯母さん」とは呼ばれたことがなく、みんなれーちゃんと呼びます。母が「れいこ」なので周りから「れーちゃん」と呼ばれるので混同しやすく、一緒に返事をすることがしばしば。孫は自分の母親を名前で呼び、母を「お母さん」と呼ぶのでややこしい。

肩書、呼び名というのはある程度役割を自覚させるとか、その組織を組織たらしめるために必要なのかもしれないというのが持論です。おねえちゃんおにいちゃんという呼び方は大切。私は姉の自覚がないままきょうだいとのつながりもきょうだいという感じじゃなく、一緒に暮らしたことがある年下の子という印象が強いです。顔も性格も趣味も似ていないから余計そうかも。

役割を求めないならいらないけれど、家族とか絆とかを大事にしたかったらアリかもねーと思ったのでした。でも姉だとか兄だとか重たい役割を与えられるのはしんどいだろうな。

 

 

 時々この漫画を読んでいて思うけど、整くんがいたから良かったんだけど「老人と海」を知らないメンツだと死んでいたかもと思うと結果オーライだけどあのおじさんもひでえなと思ったのでした。

 

今回の後半の物語、意味とか目的は後々明かされるんだろうけどこんなん巻き込まれるのが嫌だし整くんの歯切れの悪さが気になります。たぶん、青砥さんが信じてる冤罪事件の真犯人がやっぱり冤罪だってわかってるからもあるのか、マジな事件だから余計なことは慎みたいと思っているのか。

すごいぶった切った感じで終わったので、これは本誌では続きが一緒に掲載されたんだろうなと、前にも(宮島編)こういうことがあって、気になってモヤモヤするのですぐに本誌を買っちゃったんだな…

 

カバー表紙折返しの田村先生の文章の「40年近く漫画を描いてきて」という言葉に声にならない声を出したのは田村由美先生のファンでどのくらいいるだろうか…(デビュー作から持ってる)

 

 ※いま調べたけど、8月号で「続きが読める」らしいです。あれで7月号は終わりだったのか…本誌派は焦らされましたね。