夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

オリーブや1990年代のサブカルで育った私がいま見た小山田圭吾と小沢健二

この記事では小山田圭吾及び小沢健二についての私見を書くけれど、彼らの商品など一つも紹介したくないから小沢健二が問題になった記事で挙げた作家の作品を引用しておこう。

ヴォネガットを語る女の子をdisっていて、女性蔑視とも取れる。1990年代だからアリの言動かもしれないけど、そういう考えが根っこにあるような人であるのも残念ね。あのころでも別に女性蔑視しない素敵な人はたくさんいたんだものね。

 

初めてフリッパーズ・ギターを知ったのはドラマの主題歌に「恋とマシンガン」を使われていた頃で、小山田圭吾のソフトな歌声と軽やかなギターサウンドをいいなと思った。そのドラマがTBS系だったので年末のレコ大だかその関連番組の生放送で彼らがパフォーマンスをすることになり、司会の板東英二楠田枝里子さんが彼らを紹介するにあたって、彼らを全く知らなかった司会者を彼らが軽くおちょくる、というのが動く彼らを見た最初。おちょくられて戸惑いながらも体裁を取り繕って紹介する司会者が、よくわからないながらも気の毒に思えた。

当然、音楽性はいいけど感じの悪い人たちという印象を持った。

後々、片方が東大出身だかなにかだとかどうとかを知って、なるほどあの態度は学のある人がよく調べもせずに紹介しようとするのをからかったんだなという解釈をした。性格は悪いんだろうなと。

小山田圭吾には大した印象の変化もなく、音楽性はいいけどそれ以外は性格が悪そうだしあんまり知らなくてもいい存在と処理して、シングルやアルバムを初回限定で買ったりするも、コメントや記事などはほとんど目を通したことがなかったし、周りの評判も興味を持ってこなかった。ウィキペディアで調べることもなかった。中村一義方面から親のことを知ったりはあったけど。

 

小沢健二のほうはソロになってからの売り方がオリーブ少女サブカルクソ女にフィットするものだったので、自分の学歴や先祖や生まれや育ちを露悪的に話すのも魅力のうちだろうと非常に好意を持ち、ライブにも行った。親友やお婿や地元の友達と多数で夜中まで大騒ぎした思い出。

ロッキング・オン・ジャパンも、私はアーティストの記事なんかほとんど興味がないけど写真の良さと楽曲レビューは読みたくて定期購読していた。小沢健二の記事はわりとこまめに読んでいたと思うが、本屋でいっぱい万引したという記事は、表紙は見覚えがあったので買ったはずだけど知らなかった。

 

小山田圭吾は最近は見てないけど攻殻機動隊ARISEの楽曲や、ETVのデザイン「あ」は知っていて、まあ活動してはるんやなーくらいしか見てなかったような。

小沢健二は息子を出しながらちょいちょいテレビにも出ていて、昔からのオザケンファンが騒ぐのを私も当初は一緒になって盛り上がっていたけれど、いまの感じはそんなにピンとこない状態の上で不倫の記事で冷笑的に親友と話題になるという程度になっていた。

 

そこで、先日の小山田圭吾がオリンピック、パラリンピックの開会式閉会式のスタッフに名を連ねているところからの彼の過去の犯罪に関する記事が話題にのぼり、大して不思議に思わなかったと同時に嫌悪がつのった。

私は小中学校時代に知的障害者の友達がいて、彼のことが大好きでいまもたまに見かけると嬉しくて幸せになる。彼は私のことを覚えてないけど。

しばらく会っていないけれど、親戚に知的障害者の男の子がいて、その子と過ごした日々もかけがえのないものになっている。

子どもの頃から障害を持っている同年代の人と一緒に教育を受ける環境にあって、彼らが困っているなら助けて一緒に楽しいことをして過ごすことを当たり前に思っていた。いじめるとかもってのほか。たまに不届きな人がいたけれど、そういう人から守りながら距離を置いていた。不届き者は自然と自戒するような、自浄できるようなシステムもわたしのいた学校では機能していた。

大好きな彼らが同じ目に遭っていたらと思うと怖気が走る。被害者やその関係者が暴露したのではなく、本人が過去のやんちゃとして(笑)の表現付きで記事にさせているのだから余計たちが悪い。年賀状を晒していたのには正気を疑う。

 

表現はおかしいかもしれないけど貰い事故のように小沢健二の万引き事件もその日のうちに知ってしまった。

小沢健二がソロ活動中から最近まで私は小売業に携わっていることが多く、万引きというか窃盗はそれを防止、摘発するのが商売以上の業務になることもしばしばでした。気軽に盗みやがるアホどもをどれだけ憎んだかしれない。逃げおおせてゲラゲラ笑われたあのときを忘れられない。

 

と、いったように彼らの「過去のやんちゃ」は彼らの作品にお金を払ってきた自分には受け入れがたいものだった。ピエール瀧が薬物で逮捕されたときにはがっかりはしたものの好意はかわらなかったし、不倫でオザケンがネタになったときは笑った程度でどこか過去の人みたいなケリの付け方をしたけど、知的障害者や人種差別などで人を卑劣なやり方で傷つけたことを嬉々として語ったことや、適切に対価も払わず小売店に損害を与えたことを嬉々として語ったことは、幻滅以外のなにものでもなく、「過去のこと」とは思えなかった。

あくまで自己本位だけど、ファンの目線ってそんなものでいいと思っている。薬物や不倫では私は損失は負わないもの。うちは父親が不倫をしまくっていたけれど、バレるような不倫をするやつは馬鹿だとしか思えん。軽蔑はするけど父も含めどうでもいいレベルの他人事。

 

わたしの環境にあって彼らの過去を知ってファンでいたという事実は、誰かがつぶやいていたけど「豚が肉屋を応援するようなもの」に近い。彼らは私や私が大切に思っている存在に近い人達を踏みにじって笑いながら音楽を作ってそれを私は買っていたというのは過去の自分を恥じ入ってしまうほどの衝撃だった。

 

あの頃、キラキラして見えたものに対して妄信的にハマっていたことは、まあ、オザケン小山田圭吾の今回の件がなかったとしても振り返れば素敵でもかっこよくも美しくもないかもしれないけれど、これまで一部の界隈では周知され嫌悪されていたのも知らずに好きだの名曲だのなんだのほざいていたことも恥かしくて気持ち悪い。嫌悪していた人たちに申し訳ない気持ちにすらなる。

普段は過去のお痛を知ったところでそこまで揺さぶられることはないんだけど、やらかしたことの質の悪さと自分で嬉々として明かしているところ、それに対して真摯な反省もないところ、好き勝手やっちゃってるところ、不倫がスクープされてるところ、いま「関わったら負け」の印象が強いオリンピックに関係しちゃってるところからもう、全てを否定したくなってしまった。

 

もはや三次元の誰のことへも不信感を持ってしまい、迂闊に好きというのも怖くなってくるレベル。でも問題は、いじめをやった、万引きをしたというのに加えて、いい大人になってそれを嬉々として語った、ってことなのよ。明かしたくない過去として封印するならまだ可愛いもんだ。

 

でもいま私が過去の彼らを振り返っても、いまの彼らを見ても、思ったよりダメなやつらだったんだなあ、彼らを好きだった私も大したことねーなーって思います。性格が悪そうなのを把握していても盲目的によしとしていたのも考えものです。小山田圭吾が成功し、オリンピック、パラリンピックに音楽を提供する「名誉」を手にすることのごくごく僅かながらも一助になるようなことをした自分は生涯かけて黒歴史にして恥じ入るレベル。

小山田圭吾小沢健二をいままとめて語るのはおかしいかもしれないけど、でも自分の犯罪を面白おかしくインタビューで語ったという共通項まで抱えていたらもうどれだけお互いが嫌い合っていようがまとめていいんじゃないかしら。

 

村上龍がその昔小説「69」で「ウンコには思想がない」と書いたように、排泄物を使った嫌がらせは洒落にならず、唾棄すべきものとしか受け取れないし、それを明かした時点で人には小山田圭吾は「こいついじめでウンコを使った野郎」以上には印象は向上しないと思います。

このままオリンピックでは必死の黙認で小山田圭吾及びコーネリアスの曲をたれ流すんでしょ、ウンコだけにと何度も頭をちらつく。高邁なはずのオリンピック憲章にウンコぬりたくるんやでーとまで思ってもいい。東京オリンピックは選手以外は全然いいものじゃないし。

 

小沢健二に関しては、過去の曲「痛快ウキウキ通り」の

プラダの靴がほしいの そんな君の願いを叶えるため 

万引するんやろ?

 恥ずかしながらもウキウキ通りを行ったりきたり

して万引きするんやろ?

ってツッコミが頭をよぎるから、もうまともに楽しめない。

名曲と思っていた「天使たちのシーン」ですら

神様を信じる強さを僕に

 ってあんたみたいなんが神様を信じたところでバチあたるでって思うし実際いまあたってる感じあるよね。って冷めた気持ちでいます。

 

ウンコも窃盗も、汚点は本来は別物と考えたほうがいい彼らの産物を取り返しがつかないくらい台無しにしたし、好きだった自分も含め、大したことがなかった。しょーもないクズでした。オリーブは素敵だったと信じたいけど、1990年サブカル界隈もしょーもなかった。全否定でいい。それで気持ちがしっくりする。

 

オザケンなんか子どもをアルバムジャケットにしてるけど、この子の父親が紀伊國屋書店でめっちゃ万引してたんやなあって目で見てしまう。子どもには罪はないけど、父親が子どもを自分の商売道具にしているからな…顔を晒すことの危険ってこういうところにも潜んでる。

 

これからも私は誰か別の人を好きだと熱烈に思うことはあるだろうけど、どこかしら冷めた気持ちにはなるだろう。誰が人に凄惨な暴力をした過去があるかわかんないし、それを面白おかしく話すかわかんない。産物だけを好きでいるというのも、割り切ってもいいけど今回は駄目だ。気分が全然よくない。

 

もうさ、遠い昔の人とか文化が違いすぎる国とか、二次元しか信頼できないですね。CM発注に当たりクライアントが心底安心する演者はサザエさんというのも納得。堀川くんとカツオくんは脚本家による脚色のせいでちょっとアレやけど。

絶対的に安心したかったらもうサザエさんを推すのが一番かもね…(そういうものだ、という言葉が頭をよぎったり)

 

ということで、私はあくまで個人的な理由で小山田圭吾小沢健二と、彼らを好きだった自分を全部否定するし、今後の彼らの活動は無視します。嫌いです。