夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

23004 アーシュラ・ル・グィン 著 小尾芙佐・他 訳 「風の十二方位」 感想

紙でも持っているんだけどお風呂で読むほうが早く取り掛かりそうな気がしたので先日のセールで買いました。一時期紙の本が古書価格で1万円超えていたのよね…

こちらは新版の装画だっけ。紙で持っているのは旧版です。

Kindle版は2022/08/18現在もかなりお求めやすい価格になっています。つーかいま気づいたけどまた早川書房さんKindleセールやってる??マジ?????

 

ル・グィンは「ゲド戦記」は1巻は読みました。ほかはつまみ食い程度で「オメラスから歩み去る人々」は既読。

ヒューゴー賞ネビュラ賞受賞〕銀河のかなたのフォーマルハウト第二惑星で、セムリは〈海の眼〉と呼ばれる首飾りを夫ダーハルに贈ろうとするが……第一長篇『ロカノンの世界』序章となった「セムリの首飾り」をはじめ〈ゲド戦記〉と同じく魔法の支配するアースシーを舞台とした「解放の呪文」と「名前の掟」、『闇の左手』の姉妹中篇「冬の王」、ヒューゴー賞受賞作「オメラスから歩み去る人々」、ネビュラ賞受賞作「革命前夜」など17篇を収録する傑作集。

セムリの首飾り」

 ふたつの視点で語られるうち、ファンタジー的視点はですます調でおとぎ話のように、それを「星の民」の視点で見ればSFという根本から違う異種間交流でオチは浦島太郎。浦島太郎も実は相対性理論が関係しているのではとか勝手に解釈が広がっていきました。

 小尾芙佐先生の翻訳はいままでもいろいろ読んでいるはずだけど読みやすい上にちゃんとしてるイメージ。

短編集の入り口としては一粒で二度美味しいってやつかしら。でも物語のきっかけはセムリのつまらんプライドが原因なのが切ないですね。

 ロカノンは人種差別には敏感だけどルッキズムにはそうではないのでル・グィンには更に長生きしてほしかったと思ったのでした。「ロカノンの世界」も欲しくなるね。

 

 

「四月は巴里」

 ル・グィンが初めて原稿料をもらった小説だけに、一応初期の作品なんですが、初期らしくそんなに難しいことを考えていない、意外なほどキラキラとした内容でした。地味な研究者同士のブロマンスになるのかと思ったら意外な展開になっていって終わり方がすごく好き。タイムトラベルもので起こり得るヤバい展開が一つもなくてあっけらかんとした内容で。本当に好きだわ。

 

「マスターズ」

 いまある世界とすこしちがう世界で(でも居酒屋にビールがある)、厄介なテスト?試練?を経て修士になった主人公ガニルの目線で彼の運命を見ていくのですが、世界観がちょっとスチームパンクなのかどうなのか、太陽を見られるのが稀というのが活きているのかどうかが謎。そもそもそれがどういう意味なのかがちゃんと説明されてはいない。ただ読んでいて心がざわつくんですよね。太陽がなかなか見られないって怖いことだって私は知ってるからね。

 ローマ数字での研究や12進数など学問の様相も違うなかで禁忌に触れてその世界へ誘った友達に巻き込まれて審問にかけられるのだけど、どう否認しても本当にシロだとしてもえげつない拷問に遭うという不条理があり、多くを失った主人公はその社会を形成する場所から逃亡することになるんだけど、謎めいた過酷な世界観がこれ以上膨らまないで終わることがなかなかスッキリせずにただただ怖かったな…

 

「暗闇の箱」

 おとぎ話にしてもなかなかダークで、魔女がかっこいい。戦闘がとてもファンタジックで、日本産のファンタジーだとあまり出てこない(気がする)グリフォンが大活躍で西洋人が書いたファンタジーええな、と思ったり。残酷なシーンも包み隠さず出てくるのも西洋のファンタジー(みんなだいすきなゲーム・オブ・スローンズ)だなって思ったのでした。

 

「解放の呪文」

 こちらの物語とつぎの物語はアースシー関連だと前置きされていて、ゲド戦記を1巻だけでも読んでいたのでちょっと気になって読んだらこちらは監禁ホラーじみていて怖くて地獄。さまざまな思いつきからなんとか抜け出そうとするも、相手の方が一枚上手で、土牢に閉じ込められた主人公が繰り出す魔術のアレヤコレヤは想像力豊かな人が考えた魔術サバイバル盛りだくさんで読み応えがありました。オチが見事で面白かったな…

 

「名前の掟」

 アースシーって真名の縛りがあるから名前が絡む悶着があるのよね、と前置きに書かれた「イエボー」という名前の竜のことで思い出したらこの物語の核になるものこそイエボーで、前述の通り私はゲド戦記を読んでいたので「お、久しぶり!」と思ってしまったのでした。

 西洋では竜は邪なものって扱いだけど、こちらではイエボーが更生?していてびっくり。真名の縛りといい、ちょっと日本も馴染みを感じる。

 

「冬の王」

両性具有の種族がそうである理由と必要がいまいちわからんけど壮大なオチがあり、物語を追うのがちょっと大変だったけど面白く読まれました。というかちょっと前に読んだのでもう忘れた…両性具有の王となるとついついティルダ様を想像しながら読んじゃう。この世界観が説明されているとおりなら、「闇の左手」もそうなんやと、読んでない人にはわからないことを書いておく。

 

「グッド・トリップ」

翻訳するの面白かっただろうなあ、そして素面で書いたのだとするととんでもねえなあ、と思いながら読んでるとオチで驚く。確かに素面で書いたのかも。

 

「九つのいのち」

一心同体のようなクローン人間たちを束ねて未開の地を開拓していたら、思わぬ事故が起こり…という展開で、世界観を把握するまでがちょっと面倒くさいなあと思ったらはかどらなかったのだけど、事故以降がすごく面白くて一気読み(Kindle計算で1時間30分かかる内容)。物語を冷徹で怖いものにするのも、ハートウォーミングにするのも主人公の性格にかかっているのではと思ってしまった。すごく優しい主人公だった。

 

「もの」

終末ものなんだけど、どうしてそういう終末が訪れているのかが説明されず、ただただ嘆いている人とブチ切れて荒れている人とで二分された場所で密かな企みを行う主人公。ラストってハッピーエンドなのか主人公が見た幻想なのかどっちとも取れる感じなのよね。

 

「記憶への旅」

 変な展開なんだけど読んだら綺麗に忘れてしまった…読み返しても変な展開で理解が追いつかない。そんな話。私にはハードルが高いのかもしれん…

 

「帝国よりも大きくゆるやかに」

 よほど教養ある人じゃないとネタバレと気づかんけど書いた本人の周辺はネタバレではとハラハラしているという文芸オタク仕草を序文に感じた私である。

 惑星探索のチームがみんな狂人と表現されているけれどいまの表現だと全員発達障害なのでは、という特性がある天才たちで、その関係性を引っ掻き回す一人が自閉症を治したエンパスという特性を持っていて繊細過ぎて周りと敵対しなくてはならない辛さを言葉の端々に感じました。勝手にスネイプ先生をイメージしたり。短編としてはちょっと長いお話の中で惑星探索にありがちのスリラーが多種類あり、関係性の変化も丁寧で面白くてこのお話は好きです。オチも良かったな。

  

「地底の星」

「視野」

「相対性」

「オメラスから歩み去る人々」

「革命前夜」

 

2023/01/11 一通り読み終えたのですが、「地底の星」と「視野」はバーッと読んだので去年読んだコードウェイナー・スミスの短編でも似たようなものがあったなあとかそんなイメージを持ちました。特に「視野」は宇宙から戻った人の異変についてだったからかな。

「相対性」は暗喩かと思ったらそのものズバリだったので面白かったです。

「オメラスから歩み去る人々」は既読だしもう読まなくていいやとスルー。私は結論が出ているんですよ。私は、歩み去りません。

「革命前夜」はオメラスから歩み去った人の話だそうですが、私は自分がババアになったときのことを考えて憂えてしまいました。

 

長い時間をかけて読んで振り返ると「四月はパリ」と「帝国よりも大きくゆるやかに」は好きでした。

もっと他に読んでみないことにはこの作家のことは把握できないんだろうなと、短編集を読んだくらいではわからない気持ちになっています。独特の造語もオメラス他には出てくるし、共通の世界観のある物語が他の本にあったりするし。

巨星だったんだな、って印象を持ちました。お亡くなりになってから感じたから過去形です。

22011 ジャナ・デリオン「ミスコン女王が殺された」 感想

ワニ町シリーズ第2作。前巻が面白かったのでアグレッシブに2作目も読みました。

軽く読めるし美味しそうな料理はよく出てくるし、主人公と仲間たちの軽妙で動きの想像つくやりとりが楽しくてずっといい雰囲気。気の利いたイケオジが出てくるのも良い感じです。

シンフルの町に着くなり巻きこまれた騒動にケリをつけ、当初の計画どおり静かに暮らそうとしたCIA秘密工作員フォーチュンの決意を、一本の電話が打ち砕く。ハリウッドに行った元ミスコン女王パンジーが帰ってきたのだ。折しも夏祭りのメインイベントが子どもミスコンに決まり、元ミスコン女王という経歴に偽装しているフォーチュンは、パンジーと共同で運営を任されるが、大衝突をしてしまう。その翌日パンジーが殺されたことを知ったフォーチュンと地元婦人会コンビは、疑いを晴らすため動きだす……暴走が止まらない、痛快度大増量の第2弾!

事件は前作の直後なので季節感や環境はほとんど変わらないので1作めを読んで記憶がある状態で読んだほうが楽しいです。

コメディタッチで凄腕のエージェントのフォーチュンが制御ほぼ不可能な凄腕の老婆たちと懇意になり、予測不可能なとんでもない事態を打開するためにあれやこれや行うのだけど、起こるトラブルが「ここでこういうトラブルが起こってほしくないな」とひっそり思ったらそれをちょっと上回るトラブルが起こるので面白い。実際ゲラゲラ笑うところがあったり。

 

殺されたパンジーが本当にこんな奴いるのかなと引くほどのビッチで、そんな彼女でも殺されると上辺だけでも同情されて容疑者にされた新参者のフォーチュンは理不尽な嫌がらせを受けるのはこういうのは洋の東西を問わずどこでもありそうで痛ましい。それでも全幅の信頼を寄せられる(不安もあるけど)仲間がいるというのはいいものだなと読んでいて羨ましくなりました。

フォーチュンには抱えている闇があるし、仲間たちも深堀りすると悲しい事実があるかもしれないけど、そのへんはまだうっすら匂わせる程度。

 

私が常々思っている「なんで真犯人はべらべら自分の犯罪を告白したがるのか」がこちらでも。クライマックスとカタルシスが一気に昇華するからかな…

でもそのとおりで、一気にスッキリして終わり方も良かったです。フォーチュンの意外な気遣いはシーリアが娘を失った母親で、フォーチュンが母親を失った娘だからかもね。

 

それにしても殺人事件が起こったにも関わらず主要登場人物が「一般人」だから死因をなかなか掴めないでなぜ殺されたかは憶測が当たり、周りの人たちの協力や情報のやりとりによって事実が浮かび上がってくるというのが、田舎のコミュニティも含めて身の丈に合っていて、探偵役がやたらすぐに死因や手がかりを掴めるというご都合主義がないのはいいですね。主人公一人では絶対解決できなかった。

 

続きもかなり面白そうなので近々読むと思います。翻訳者様と出版社に感謝。

 

 

3作目

日本では最新作の4作目。全部既に買ってます。

22012 阿部謹也「中世の星の下で」(ちくま学芸文庫) #風呂本

お風呂で読む本(Kindle)では初めての小説以外の本ですね。大好物の中世に関する本です。

各章のタイトルを見るに、かなりの広がりを感じる。買ったときには中世の旅本って触れ込みだったんだけどどうも違うみたいですよ…?(後日:それは同作家の違う本だと判明。それも持っています)

遠くヨーロッパ中世、市井の人びとは何を思い、どのように暮らしていたのだろうか。本書から聞こえてくるのは、たとえば石、星、橋、暦、鐘、あるいは驢馬、狼など、人びとの日常生活をとりまく具体的な“もの”との間にかわされた交感の遠いこだまである。兄弟団、賎民、ユダヤ人、煙突掃除人など被差別者へ向けられた著者の温かい眼差しを通して見えてくるのは、彼らの間の強い絆である。「民衆史を中心に据えた社会史」探究の軌跡は、私たちの社会を照らし出す鏡ともなっている。ヨーロッパ中世史研究の泰斗が遺した、珠玉の論集。

 

「私の旅 中世の旅」

中世の旅が命がけのものだったのは容易に想像ができるけど、引用された4人の旅が酔っ払いの戯言から引っ込みがつかなくなって巻き込まれ、結果的に3人亡くなった話しで巻き込まれた人たちの気持ちを思うと、どれだけ意義があることであっても引っ込みがつかないことで何もかも台無しになるということは現在でもいろいろありえるのでどこかでブレーキをかけられないものか、と他人事ながらハラハラしたのでした。エラスムスの「対話集」を読んで詳細を知りたい…

 

「石をめぐる中世の人々」

古代からある、石に対する意味付けや迷信を紐解きながら、呪術的な役割から単なる「石」になるまでの話しが展開されているけれど、書いた人の頭が良すぎて終盤の単なる「石」になることに関しては説明が細かでないので文脈を読んで「そういうことか」と私が勝手に思った次第。ヨーロッパは小石が少ないからヘンゼルとグレーテルが道標にしてもわかりやすかったというくだりで小石の多寡ってどういうこと?と考えていると頭の中のタモリさんが火山活動とそこから川で削られていく多数の小石についてざっくりと解釈を入れて勝手に納得。違うかもしれんけど。火山と川が多い国だからってのはあながち間違いじゃないんじゃないかしら…

ケルンという言葉も石に関係するというのは他の本を読んでいて知ったけど、地名にもなってるのはヨーロッパは石造りの町並みが多いだけに石と深い関係が根付いているからなんだろうな。

 

「中世の星の下で」

中世ヨーロッパに浸透していた占いというか偏見というか、遊星(惑星)の日の生まれに人となりや適正職業など照らし合わせたものが画像とともに紹介されていたんだけど、土星の生まれがなかなか救いようがない。星の動きと人間性や体の作りがつながっていたように考えられていたらしく、そのつながりは賤民にも与えられていたという話し。それはいいんだけどそういうふうに当てはめることって誰得なんだろうなあ…現在のホロスコープでもさ。

 

「中世のパロディー」

厳粛に思われた中世のカトリック教会でもクリスマスなど年に数回のお祭りではとんでもない無礼講であったのと、様々な教えをネタにパロディが流布されていたが、供給側の教会も教えを講じるに当たって端からネタとして投下していたようだという見解。どうせ茶化すんでしょ、って感じ?モンティ・パイソンの源流かもしれない。茶化し=娯楽だったのかな。結果的に教えも浸透するし、茶化すには教養が必要だから知性も発達するのよね。

 

ライン川に架かる橋」

中世では古代よりもライン川に橋を架けるのが大変だったが、架けると階級など関係なく万人に恩恵が与えられたという話し。

古代よりも財力も権力も分散されていたから難しかったみたい。

 

「『百年暦』について」

グレゴリオ暦が採用される前にあった百年暦は7年間の細かな観察に寄って作成されたものだが微妙に日時がずれていることが判明。ずれていても愛用されていたのは占いとかと同じで多少の誤差はこちらがわが寄せて信じていったからかも?

 

「農夫アダムと牧人イエス

キリスト教の発祥から中世に至るまで牧畜が優遇され農耕は神が人に与えた苦行、試練だったこと。農夫のカインの農作物の供物より牧人のアベルの食肉系供物のほうが喜ばれた話は旧約聖書で読んで子供心になんでそんなえこひいきをするのか、カインが可哀想と思ったものですが、その不条理さはずっと続いていったようで、私はやっぱりキリスト教と相容れないなと。中世の時代は騎士も貴族も農業や牧畜を直接営んでいたそうで、小作人や徴税などのシステムより自作農だったらしい。

 

オイレンシュピーゲルと驢馬」

ティル・オイレンシュピーゲルが驢馬に言葉を教えて当時の大学教授や博士を一杯食わせた話で、それに対する解釈が筆者には難しく思えていたらしいけど単に一休さんみたいな頓智咄で片付けてはいけないのかしらん。ここでは中世や近代に至るまでの動物(家畜、愛玩動物)と人間との距離感に関する日本とヨーロッパの違いについても触れているけど、引用されている”犬が書いた本”にしても、書かせた経緯や過程は日本なら「コックリさん」海外では「ウィジャ盤」みたいな感じなんだろうなと私は解釈したしそれを犬が書いたものと信じて本にしたというのは判るけれど、それと冒頭のティル・オイレンシュピーゲルの話はそんなにつながらないような気がしました。

それより最後に引用されている、オイレンシュピーゲルと似たような話のアラブ版が面白い。アラブの人たちの鷹揚さや頭の良さを感じました。少なくとも誰のことも不快にしてないだけオイレンシュピーゲルよりはいい人たち。この話だけでも一読の価値あり。

 

「靴の中に土を入れて誓う」

こちらもティル・オイレンシュピーゲルの一話を引用しながら土地と中世の人とのつながりなどを解説していて人が土地の所有権を主張するときの頓知というか屁理屈というか、しょーもないようで命をかけたガチな方法を使ったらしいと。その土地の土を足元に用意することで違う場所であってもその土地であると主張するという方法だからいまから見たら本当に変な理屈だしちょっと甲子園の土を連想するところもあるような。

そして引用されている画像で当時中世の人たちが履いていた靴が紹介されているのだけど、いま見るとトンチキ極まりないあの先の尖った靴が本気で履かれていたんだな…あれなんの利点があるのか調べよう(調べた:実用性無視で単なる無駄に長続きした流行のデザインの靴で、弊害で外反母趾で苦しんだらしい。そういえば特に必要性もなく見た目が良いということでコルセットとかでかすぎる飾りがついたカツラを着用する文化の人たちだったわ…)

 

「風呂」

十六世紀まではヨーロッパでは公衆浴場が整備されていて、身分関係なくというか、身分の低い人に対しての施しとして頻繁に利用できていたという話。そういう言葉は使われていないけれど、カソリックの一定以上の地位や収入がある人にとってのノブレス・オブリージュだったらしい。が、梅毒の流行に加えて宗教改革からは廃れたと。「徳を積む」とかいった考え方がプロテスタントにあるのかないのかは知らないけど、恵まれない人たちに入浴させることで徳を積んで天国へ行きたい気持ちがそこで途絶えたらしい。大体において不潔なイメージがあるヨーロッパだけど、公衆浴場が廃れたことでさらに汚くなったのかどうかは気になるところですが、そこには触れてないな…

 

「中世びとの涙」

平家物語」で武士が袖を濡らして泣くことを筆者が興味深く思うので中世の騎士はそうじゃないのかと思ったらめっちゃ泣くし、なんなら古代ギリシャもよく泣く(神は涙が流せないというのは先日別件で知った)という。というか泣くのが「女々しい」と思う方が割と最近の思想なんじゃないの?泣きたければ泣けばいいんじゃないの?と読み手のわたしは思うのであった…韓国ドラマで男性がめっちゃ泣いているのを見てわりと戸惑っていたけれど、「泣く」ということが恥ずかしいという文化のほうが面倒くさく思えてくる今日このごろ。(西洋、とりわけUSAが一番「泣く」ことに抵抗感があるみたいな話を英語の授業で勉強したなあ)

 

「中世における死」

キリスト教が浸透するまでお葬式は宴会色が強く、しめやかなものではなくてにぎやかなものだったというのは死者との距離感や思いの感覚が歳を重ねるごとに遠くなるからかと読んでいて感じた。死というものを忌まわしく思ったり遺体を人間と思わなくなっていったという流れがあるらしい…帰ってきてほしいかそうでないかの違いもあるとか。またキリスト教が浸透するのが遅いと風習も違うとか。プリミティブな風習のほうが私は好きだけど、それらを滅ぼしていったのがキリスト教とか仏教なのよね…火の鳥でもやってた。

 

「現代に生きる中世市民意識

書かれたのがかなりまえの論説なのでますますもって働き者の日本人の感覚で見た、お休み上手のドイツ人の生活がどこからそうなのか、って話。中世ではギルドの中でかなりのブラックを強いられており、なんとかもぎ取ったのが「ブルーマンデー」だったとのことで、このブルーマンデーは今で言うサザエさん症候群と同義のやつじゃなくて、いろんな意味合いからそう呼ばれるけど月曜日も休ませろ休んでいい休んじゃだめだって感じで休みに当てようとしていたらしい。禁止されることもあったけれど、やっぱり働きすぎるとモチベーションが上がらないからちょいちょい休みになることがあったと。昔から休みを取ろうとするムーブがあって今に通じる。500年やそこらかかってのいまのドイツの休みの取りっぷりだから、日本だったら普通に1ヶ月休みが取れるとかいった風習は何百年後のことになるんだろうか…取らせろ…

 

ブルーマンデーの起源について」

前節に続いてブルーマンデーについて。取るにしても結果的にギルドの活動のためにしか取れなかったみたいな結論だけど、それが飽くなき休みを取りたい執着心につながったのかどうか。

 

「中世賤民身分の成立について」

文体が講演かなにかを記録したものなんだろうなというのはわかったのだけど(発表だったらしい)そういう専門家が集まるなかの話なので、素人には若干説明が足らない内容ではある。が、私にはなんとか分かるという話のなかで、犬殺しが相当な罪だった理由について、著者は穢からだと言いたいみたいだけど私はそれだけでもなさそうなように受け取った。質疑応答できたらよかったのに。

賤民に落とし込むのは教会が過去の土俗的宗教では重要な立場だった人たちだったり、賤民がいて差別するからこそ自分たちを特別に思い込もうとする狙いがあったりと、された方にはいい迷惑の利己的な扱いだった。

強いものが自分の都合のために他人を貶めるのは昔から、そしていまもあることなのよね。

 

「黄色いマーク」

ユダヤ人を区別すると言うとホロコーストダビデの星のイメージが強いけれど、中世では黄色のペイントで二重丸だったらしい。キリスト教の異教徒への排他的な扱いって本当天罰喰らえばいいのにって思うよ!

その黄色いマークの理由や黄色が意味するものをいろいろ掘り下げていました。

 

「ヨーロッパの煙突掃除人」

大変なことを請け負う職業でいなければならないのに扱いは賤民。でもキリスト教の信仰から離れたところで彼らは幸運のシンボルだったらしい。

 

「人間狼の伝説」

古来から狼は恐怖のシンボルで、犬は生活における大事な相棒であった。そこからの延長で狼の皮をかぶったら狼に変貌する人間の伝説が散見されるようになるが、その人間が貶められるにつれて狼が恐怖の対象から蔑みの対象へ落ちていったとのこと。犬に関しては他の項でも言及されていたやつ。猫の話はないのよね…ドイツはシュヴァルツカッツの国なのに…

 

「病者看護の兄弟団」

中世は集団の中で様々な兄弟団を構成していったけどそのなかでも病者看護の兄弟団などをクローズアップ。信仰によるものもあるが、様々な施しの形があったらしい。日本だったらお接待みたいなやつかしら…ちがうか。

 

「中世ヨーロッパのビールづくり」

キリスト教というとワインだけどそれよりもっと古くから作られているビールについて言及。ビールは生活に根ざし、12世紀からすでに品質管理や流通管理がしっかりしていたらしい。

都市と地方、上流階級のものと貧民のビールで違いがあったとかここでも階級や都会と田舎など上から目線や差別、階級主義があり、なんか性格がよろしくないなあと勝手に受け止めたのでした。

 

シューベルトとの出会い」

「オーケストリオンを聴きながら」

「鐘の音に結ばれた世界」

「カテドラルの世界」

「ひとつの言葉」

「文化の底流にあるもの」

「知的探求の喜びと我が国の学問」

「自由な集いの時代」

「西ドイツの地域史研究と文書館」

「『無縁所』と『平和の場』」

アジールの思想」

「中世への関心」

「文化の暗部を掘り起こす」

歴史学の現在」

「私にとっての柳田國男

2022/08/12 読了したのですが、各題ごとの感想を書く暇がなく読んでたら各内容もごっちゃごちゃになっちゃったという…殆どが5分で読めて一部が25分程度(Kindle表示による)のですが、印象に残ったのが犯罪者(過失殺人)救済システムのアジールとか、ジプシー(いまは呼び方が違うけどなんだったけ)の扱いの悪さとか。

視点が40年以上前でドイツも併合前なのでものの見方や価値観が若干違うのは、読み手の私も西ドイツ時代を知っているからなんとなくわかるけど統合以降に育った人が読んでも大丈夫かしらん。大丈夫か。知っているにしても未だにベルリンの分け方はちょっと脳がバグりかけるよね。ややこしいし住むの大変だったろうなあ。

 

細かな知識となって蓄積されたのでまた何かの機会に活かされそうな気がするが、たぶん毒にも薬にもならない機会でしょう。

こういうジャンルの本をお風呂で読むのは集中できるのでいいかもしれないけれど、やっぱり物語がいいかなあということで次は物語を読みます。

22010 サラ・ピンスカー「いずれすべては海の中に」

新刊だけどKindle Unlimitedの対象なんですよね。竹書房さん攻めてるなあ…ポプ子に何度破壊されても立ち直ってるだけあるわ、強いわ。

最新の義手が道路と繫がった男の話(「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」)、世代間宇宙船の中で受け継がれる記憶と歴史と音楽(「風はさまよう」)、クジラを運転して旅をするという奇妙な仕事の終わりに待つ予想外の結末(「イッカク」)、並行世界のサラ・ピンスカーたちが集まるサラコンで起きた殺人事件をサラ・ピンスカーのひとりが解決するSFミステリ(「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」)など。
奇想の海に呑まれ、たゆたい、息を継ぎ、泳ぎ続ける。その果てに待つものは――。静かな筆致で描かれる、不思議で愛おしいフィリップ・K・ディック賞を受賞した異色短篇集。

 

最近お風呂で短編を読むのも大概にしろってくらいお風呂でしか本を読んでない感じで、次に何を読めばいいのかわかんなくて面白いのが読みたいけど私がいま面白いって思うのはなに?と妙に悩みながらなんとなく読んだのが超面白かったという…大成功ですやん

 

「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」

私もやっちゃいそうな不慮の事故で右腕を失った農業を営む青年が両親の意向によりサイボーグ手術を受けるのだけど、その腕が腕なのか道路なのか分からない。行ったことのないコロラドの道路になろうとしているという、そのアイディアがもう、「なにそれ大好き」と思っちゃう。

いわゆる奇想ものなんだけど、書き方によったらすべってつまんない話でもうまくSFとリンクしてその人のバックボーンや営みと混ぜるととびきり面白くなる。その好例。大好き。

 

「そしてわれらは暗闇の中」

妊娠を諦めたレズビアンカップルの片方が夢の中でイマジナリー赤ちゃんを育てるのだけど、ある日現実の西海岸の海に大勢の赤ちゃんが出現してあの赤ちゃんこそ自分の赤ちゃんだと思う人達が対岸に詰めかける。もはやどこまでが夢かわからん話ではあるけど、根底には(そういうことには言及されてはないけど)男性同士のカップルより女性同士のカップルの方が平均的に収入が低いという格差問題がにじみ出ていて、貧困を理由に不妊を治療できない、諦めるという流れから赤ちゃんを渇望するという現実と背中合わせなのでどういうラストであっても切ないしハッピーエンドかどうか分からないですよね。ハッピーだといいんですけどね。赤ちゃんを得ても失業してしまったことの埋め合わせになるかどうかはその人によるだろうなあ。

 

「記憶が戻る日」

お話が進むごとに全貌が明らかになる手法って難しいけど主人公が抱えている悲しみや祖母と共有しているある緊張感をさり気なく表現するのがうまくて、何が起こったのか具体的には伝えないのに胸に重たいものが強く残る。主人公の母親に施されていることの是非については我々も考えたほうがいいと思います。結局は個人の自由なんだろうにな。

 

「いずれすべては海の中に」

こちらも「記憶が戻る日」と似た手法で書かれているけれど途中まではそれを感じさせないので余計に驚きます。もっと話を広げてその世界がどうなっているのか知りたいけれど、あくまで語り手が把握している部分しか展開していないから余計に恐ろしい。うまい書き方するなあと何度か唸りました。

 

「彼女の低いハム音」

徐々に明かされる不穏な世界観の中で息を潜めて生きる少女と彼女にあてがわれたおばあちゃんの代わりになるものの関係性や少女の心の向きがリアルで彼女を取り巻く環境の変化も映画を見ているようなスリルも含み、今の情勢もあっていろいろ考えさせられた。題名のハム音が安心をもたらす心音なんですよね。孤独の中で強くあろうとする少女とおばあちゃんという存在は他の作品にもあったので作者にとって思い入れのあるものなのかもしれない。

 

「死者との対話」

未解決事件が起こった家の間取りを再現した模型の各所に居住者の当時の証言が作動するようプログラミングされ、聞きたいことを尋ねたら答えてくれるという商品を開発した学生二人の物語で、そのうち一人もまた未解決事件に関わりがあるのが作中でさらっと語られるところからの、オカルトやスリラーにもなり得るのにあくまでビジネスパートナーとの関係性や人間の好奇心などに焦点を当てていたのが好印象。私だったら怪奇小説になるのを期待しちゃうけど。そうならなくても寒々しさって生み出せるものなんですね。

実際こういう商品があったら売れるかもしれないけど様々な権利が発生するだろうからそのへんがクリアになりそうなウィンチェスターハウスくらいしか実現しそうにない気もしました。発想は超面白いけれど、悪趣味なのは確か。

 

「時間流民のためのシュウェル・ホーム」

すごく短くてなんなのか把握できないまま終わりそうな中で、タイムリーパーや予知能力やそういう時間に絡む常人にない力を持った人たちのグループホームみたいな場所の話なんだというのはわかった。わかった上で改めて読んでも彼らの大変さはなかなかわかりにくかったな…

 

「深淵をあとに歓喜して」

戦時中にロマンティックな出会いをした夫婦が長生きをしてある日夫のほうが病に倒れてしまう、そこから妻が心に秘めていた夫の悲しい過去が蘇るのだけど、明言はしないものの出てくるキーワードで夫がどんなことに関わっていたのか察してしまう。察することが出来なければググりましょう。

かなりの高齢の女性の身の処し方についても考えさせられる、短い中に人の生涯の重さや切なさが盛り込まれた良作でした。

 

「孤独な船乗りはだれひとり」

寂れてる港町にセイレーンが出るようになって船が出られなくなってしまい、そこで一人の船長が宿屋で働く少年ならセイレーンに惑わされず出港できるだろうと一計を案じるが、少年にはその思惑を凌駕する秘密があった…という、おとぎ話のような、おとぎ話の裏話のような物語。少年のこれまでの生活や周りの人との関係や街の雰囲気などが短い中で描き出されていて陰鬱さがあるのに倹しく精一杯生きている様子が伺えて、ラストの展開がこの人ならできるだろうなとすごく説得力がある作りになってるんですよね。ページ数的には小品だけどボリュームを感じる作品でした。

 

「風はさまよう」

アンディ・ウィアーの「火星の人」で火星で一人ぼっちだった主人公の心を慰めたのは古いドラマのアーカイブだったし、マーサ・ウェルズの弊機くんの楽しみもドラマのアーカイブだったり、地球から離れてもそれまでの歩みから離れすぎずに心を保っていられる要素としてミームがあったのが、この物語では1万人単位が搭乗する居住環境が整って人類が生活できる様になっている巨大な宇宙船の中でもう40年は暮らしているなかで、割と早いうちに地球にあった文化的なアーカイブが一旦すべて失われてしまったことがお話が進むにつれてわかります。

それに対して人々が行ったことや、主人公の感じていることが実際あったらそうかもなと思わされるもので、でも退屈でも派手すぎることもなく、やはり失ったものの大きさはわかるので切ない。地球に戻れない状況で地球を感じられるあらゆるものが殆ど失われるというのは筆舌し難いだろうなあ…現状自分にはありえないことだけど、そういうことに思いを馳せることができるというのは読書の醍醐味やと思います。

 

「オープン・ロードの聖母様」

近未来の荒廃した雰囲気が若干ある世界観でパンクバンドが植物油を燃料にしたトレーラーで巡業していて、主人公はロートル感があって昔は人気があったバンドボーカルだった女性。体にムチを打ちながら、劣悪な環境の中で巡業する道中でその世界でのパフォーマンスの有り様が変わっているが、彼女はそれに反抗しつづけていることが判るのだけど、哀愁と底力を感じるし絶望的な展開であってもなんだかキラキラしていた。

 

「イッカク」

亡くなった母の遺品である車を彼女の郷里に持っていきたいというダリアに雇われたリネットは8日間のドライブに付き合うことになる。その車はステーションワゴンのシャーシにクジラが乗ったものだった…

読んでいて最初車にラッセンみたいなクジラが描かれた痛車かと思ったら違うんですよね。見た目がクジラ。内部は謎のボタンがいっぱいある。しかも物語の途中でトランスフォームするの。

それが何を意味するのかが意外な展開で判るのだけど、そういう収め方をするのかとおどろきました。作中ではダリアにカタルシスが訪れるかどうかは言及されてないけどたぶん大丈夫な気がします。短編として終わり方が秀逸。想像の余地があるって大事よね。

 

「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」

タイトルから分かる人はわかるように、ミステリ仕立て。被害者も容疑者も探偵もサラ・ピンスカーという量子力学ものなんだけど、たらればが重層的になっていって数多くいるサラ・ピンスカーが自分ばかりが集まるイベに参加すると他人同士の集まりよりもより自分の来し方について懊悩してしまうというのが描写されていて、一人称の視点になる探偵のサラ・ピンスカーの悲しみや真犯人の境遇などどれも崇高な思考実験の果てに書かれたのではと思う内容だった。いろいろと自分のことのように感じてしまう。自分という人間は様々な選択肢や偶発的な事件のあとに絞られた者なんだなあ…馬のエピソードは思い返したらそこだけで泣くだろうな、私も同じようなことが起こったから。

 

以上で読了。

まとめ:どの作品も外れがなく、秀逸でした。こういう舞台があったらどうなるかというのを現実や実際問題から離れすぎない程度に想像力を働かせたら我が事のように感じるほど引き込まれるもんですね。荒唐無稽な設定もあるのにどこかしら身近な部分がある。文章で明確に伝えてこないけどそこにいる人達の複雑な感情が流れ込んでくるような。

一番好きなのは「死者との対話」かなあ。ゾクッとしたから。でも怪奇小説にもっと寄ってもいいのにそうはしなかったのも好き。

この作者とはいい出会いになりました。他の作品も読んでみよう…SFで有名な大手出版社じゃなくて、ちょいちょい面白い作品を出版されている竹書房さんからの出版というのも興味深い。本当に感謝です。

MOTHER2 無事クリア

Nintendo SwitchOnlineに加入していたらSwitchで遊べる「MOTHER2」をクリアしました!

フォーサイドをクリアしたらわりとサクサク進んで途中マジカントでちょっと軌道修正とかもあったけどそんなに時間をかけずラスボスを倒せました。総プレイ時間は30時間程度だそうです。ネスの最終レベルは84くらい。

ラスボスの倒し方が変則的でとんでもねーしかけもあります。プレイヤーとキャラクターが一体感を持つというか、プレイヤーはラスボスあたりはたいてい思っていることがゲームに反映されるのはいいアイディアですね。ギーグのグラフィックの怖さはリアルタイムでやっていたら悪夢を見そう。

 

エンドロールで「SATORU IWATA」という名前を見た瞬間に涙が止まらなくなったのですが、これを見るためだけでも遊んでよかったです。バルーンファイトはクリアできないからな…(ゲーム的にクリアができないのもあるけど私の腕では序盤で死ぬ)

 

ニンテンドーチャンネルの「ナカムラチャレンジ」の影響で始めたのですが、改めて見ると中村悠一さんや安元洋貴さんが仰っていたこともいろいろわかるのです。

自分の本名を入れておいてよかったなーとか、ポーキーの物語であるとか。

 

同じ調子でOnline特典をもうちょっと消化したいですね。いいサービスだけど今後もしかしたら非会員にも単品売りするようになるかな、プレステみたいに。私はOnline会員であり続けますよ。

MOTHER2攻略日記 2

いまネスのレベルが67で地底にいます。

私の知っているRPGだとだいたいレベル60くらいでラスボスって感じですが、一応終盤の匂いをさせながらもまだ「おまえのばしょ」が2つ残っています。ダンジョンはそこそこシビアでステータス異常多めで空振りもお互い多いのでレベルを上げても心配な感じ。

でも空振り系のステータス異常や通常の空振りを解消できるジェフの「スーパーバズーカ」があるとわりと楽になったし、ポーラのラックが高いので通常攻撃もクリティカルが連発できるのもいい。

面倒くさかったのはフォーサイドくらいで、そこから先はわりとサクサク進んでいました。

デヘラー系の敵はあまり強くないけど経験値が多いので大量に出るところではレベル上げをしていきました。

こうやって書いている間にネスのレベルは72になり、おまえのばしょの7つ目を見つけました。意外性がずっとつづくので面白いです。

これを終わらせて他のゲームをやりたいので(FGOの6.5章もペンディングしてるよ…)とっととラストをみたいですね。

22009 スティーヴンスン「新アラビア夜話」 #光文社古典新訳文庫

今度のお風呂で読む短編集はこちら。

理由なき自殺願望者が集うロンドンの夜。クリームタルトを持った若者に導かれ、「自殺クラブ」に乗り込んだボヘミアの王子フロリゼルが見たのは、奇怪な死のゲームだった。美しい「ラージャのダイヤモンド」をめぐる冒険譚を含む、世にも不思議な七つの物語集。『宝島』『ジーキル博士とハイド氏』の著者スティーヴンスンが書いた19世紀ロンドン版「アラビアンナイト」!

「自殺クラブ」

「クリームタルトを持った若者の話」

一般人に身をやつしたボヘミアの王子フロリゼルがある晩出会った青年の奇行の原因を探ると怪しい団体に行き当たり、潜入は成功するもとんでもない事件に巻き込まれるという話。お付きが有能で忠誠心の強さが武士道にも通じるレベルなせいかどうか知らないけど読んでいて途中から頭の中で「じーんせいらくありゃくーもあるさー」という曲が流れていました。

そう、アクションはほぼないものの、水戸黄門っぽい*1のよね。庶民のフリする高貴な人が世直しをする感じ。王子はかなり危ない橋を渡るけど助さんがちゃんとしてたからなんとかなりました。

杉良太郎さんは「君は人のために死ねるか」が大好きです。

一旦お話は上様のご裁断により片付いたかのように思えたけれど、一番の問題を続きに残したと最後の最後に知らされます。で、続きが以下のお話。

 

「医者とサラトガトランクの話」

続きと言いながらも語り手と言うか主観になる人物が違うし最初のお話の登場人物がなかなか出てこないので勝手に違う話のつもりで読んでいたらミステリのような違うような、読んでいるこっちは「いまおまえ騙されてるんだよ」と「水曜どうでしょう」ジャングルリベンジ第一夜の藤村Dの如く思いながらお話の流れを追っていました。

しかし追うだけで、主観がちがうせいか感情の置きどころが難しく、展開の思いがけなさに困惑するのみで終わりました。

 

…騙されたのよくわかってないまま終わってるよ

ただ、主観が違うとフロリゼル王子とジェラルディーン大佐の容姿を客観的に表現されるので彼らがとても美しいという描写があってテンションがアガるのでありました。

 

「二輪馬車の冒険」

こちらも主観は違う人で、映像じゃないから1話が伏線になっていて登場人物の正体が途中までわかりにくくなっていました。

物語は一応の大団円を迎えますが、ここへきて水戸黄門らしさがまたあり、上様のケリの付け方が王子というより人としてご立派でした。エンタメと思えば面白いです。でももっと膨らませられるはずなのにとっとと物語を片付けて、主観になった人が今ひとつ活きてなかったような。水戸黄門で言うところの、シリーズ最終回で豪華ゲストを呼んだ感じがあったのに大事なところで見どころを全部黄門様が持っていってゲストは??という展開。まあ水戸黄門ファンはそれで満足か。

 

「ラージャのダイヤモンド」

「丸箱の話」

ゆとり世代と表現するとゆとり世代に失礼なくらいボンクラな人が視点となってヒヤヒヤで予測不可能な事件が発生するけど王子は出ないし何が起こったのか、どう片付いたのかが判然としないのでどちらかと言うと序章的かつある事件を側面から見た状況という感じかしら。困惑しながら読みました。面白いけど出てくる人全員悪人で実質アウトレイジだった(死なないけど)

 

「若い聖職者の話」

聖職者ってこんなもんよね、と冷淡な気持ちになるような、ふとしたきっかけでとことん堕ちる人の話ではあるけど王子はろくに絡まず「丸箱の話」でどうなったかわかんなかったラージャのダイヤモンドに焦点があたっていきます。面白いけどいきなりぶった切られておわり。

すごい構成。

世界で6番目に大きなダイヤモンドをめぐるアウトレイジ水戸黄門だったはずがどうしてこうなった。

 

「緑の日よけがある家の話」

またもフロリゼル王子とは関係のない青年がダイヤモンドをめぐる事件に巻き込まれるんだけど、巻き込まれ方がもはや運命的。冒頭のゆとり世代とは対比的で賢く実直だけどところどころ問題点を感じる。バカ正直というかちょっとピュアすぎというか。

そんな彼も最初の物語の青年同様、やべえ爺さんに追いかけられまくるんだけど、ヴァンデラー兄弟は名士のはずがめちゃくちゃヤバいのでお話がグッとおもしろくなります。

とんでもねー展開でもいつのまにがフロリゼル王子が美味しいところを奪っていくんですよね。上様のおさばきは華麗だわ…

 

「フロリゼル王子と刑事の冒険」

…と思っていたら、王子は王子でダイヤモンドにちょっと頭がパーになっていてふつーにやばい事態に追い込まれたけど、さすが若くても海千山千の経験ある(知らんけど)??王子だけに外見上では特になんでもないことかのようにとんでもねー解決の仕方をしました。ハッピーエンドありでめでたしめでたし。

 

以上、光文社古典新訳文庫「アラビア夜話」読了。

ミステリと言うよりエンタメ、サスペンスかな。偶然の場合も多いし(偶然て言い換えるとご都合主義だよねえ)構成が凝ってるのでそれぞれの話をつなぐ糸に気づかなかったら困惑するけど後半の「ラージャのダイヤモンド」はいま読んでも面白いです。実直で働き者な青年はあの時代にしてすでに珍しいとか、だったらもういまはどうなるって感じ。

王子の活躍はもっと華々しいといいけどどこかふわっとしてました。

なんだかんだ言ってあっという間に読めて面白かったな…

*1:Amazonのレビューでも水戸黄門ぶりが指摘されていた…あとで知った…笑