夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

22012 阿部謹也「中世の星の下で」(ちくま学芸文庫) #風呂本

お風呂で読む本(Kindle)では初めての小説以外の本ですね。大好物の中世に関する本です。

各章のタイトルを見るに、かなりの広がりを感じる。買ったときには中世の旅本って触れ込みだったんだけどどうも違うみたいですよ…?(後日:それは同作家の違う本だと判明。それも持っています)

遠くヨーロッパ中世、市井の人びとは何を思い、どのように暮らしていたのだろうか。本書から聞こえてくるのは、たとえば石、星、橋、暦、鐘、あるいは驢馬、狼など、人びとの日常生活をとりまく具体的な“もの”との間にかわされた交感の遠いこだまである。兄弟団、賎民、ユダヤ人、煙突掃除人など被差別者へ向けられた著者の温かい眼差しを通して見えてくるのは、彼らの間の強い絆である。「民衆史を中心に据えた社会史」探究の軌跡は、私たちの社会を照らし出す鏡ともなっている。ヨーロッパ中世史研究の泰斗が遺した、珠玉の論集。

 

「私の旅 中世の旅」

中世の旅が命がけのものだったのは容易に想像ができるけど、引用された4人の旅が酔っ払いの戯言から引っ込みがつかなくなって巻き込まれ、結果的に3人亡くなった話しで巻き込まれた人たちの気持ちを思うと、どれだけ意義があることであっても引っ込みがつかないことで何もかも台無しになるということは現在でもいろいろありえるのでどこかでブレーキをかけられないものか、と他人事ながらハラハラしたのでした。エラスムスの「対話集」を読んで詳細を知りたい…

 

「石をめぐる中世の人々」

古代からある、石に対する意味付けや迷信を紐解きながら、呪術的な役割から単なる「石」になるまでの話しが展開されているけれど、書いた人の頭が良すぎて終盤の単なる「石」になることに関しては説明が細かでないので文脈を読んで「そういうことか」と私が勝手に思った次第。ヨーロッパは小石が少ないからヘンゼルとグレーテルが道標にしてもわかりやすかったというくだりで小石の多寡ってどういうこと?と考えていると頭の中のタモリさんが火山活動とそこから川で削られていく多数の小石についてざっくりと解釈を入れて勝手に納得。違うかもしれんけど。火山と川が多い国だからってのはあながち間違いじゃないんじゃないかしら…

ケルンという言葉も石に関係するというのは他の本を読んでいて知ったけど、地名にもなってるのはヨーロッパは石造りの町並みが多いだけに石と深い関係が根付いているからなんだろうな。

 

「中世の星の下で」

中世ヨーロッパに浸透していた占いというか偏見というか、遊星(惑星)の日の生まれに人となりや適正職業など照らし合わせたものが画像とともに紹介されていたんだけど、土星の生まれがなかなか救いようがない。星の動きと人間性や体の作りがつながっていたように考えられていたらしく、そのつながりは賤民にも与えられていたという話し。それはいいんだけどそういうふうに当てはめることって誰得なんだろうなあ…現在のホロスコープでもさ。

 

「中世のパロディー」

厳粛に思われた中世のカトリック教会でもクリスマスなど年に数回のお祭りではとんでもない無礼講であったのと、様々な教えをネタにパロディが流布されていたが、供給側の教会も教えを講じるに当たって端からネタとして投下していたようだという見解。どうせ茶化すんでしょ、って感じ?モンティ・パイソンの源流かもしれない。茶化し=娯楽だったのかな。結果的に教えも浸透するし、茶化すには教養が必要だから知性も発達するのよね。

 

ライン川に架かる橋」

中世では古代よりもライン川に橋を架けるのが大変だったが、架けると階級など関係なく万人に恩恵が与えられたという話し。

古代よりも財力も権力も分散されていたから難しかったみたい。

 

「『百年暦』について」

グレゴリオ暦が採用される前にあった百年暦は7年間の細かな観察に寄って作成されたものだが微妙に日時がずれていることが判明。ずれていても愛用されていたのは占いとかと同じで多少の誤差はこちらがわが寄せて信じていったからかも?

 

「農夫アダムと牧人イエス

キリスト教の発祥から中世に至るまで牧畜が優遇され農耕は神が人に与えた苦行、試練だったこと。農夫のカインの農作物の供物より牧人のアベルの食肉系供物のほうが喜ばれた話は旧約聖書で読んで子供心になんでそんなえこひいきをするのか、カインが可哀想と思ったものですが、その不条理さはずっと続いていったようで、私はやっぱりキリスト教と相容れないなと。中世の時代は騎士も貴族も農業や牧畜を直接営んでいたそうで、小作人や徴税などのシステムより自作農だったらしい。

 

オイレンシュピーゲルと驢馬」

ティル・オイレンシュピーゲルが驢馬に言葉を教えて当時の大学教授や博士を一杯食わせた話で、それに対する解釈が筆者には難しく思えていたらしいけど単に一休さんみたいな頓智咄で片付けてはいけないのかしらん。ここでは中世や近代に至るまでの動物(家畜、愛玩動物)と人間との距離感に関する日本とヨーロッパの違いについても触れているけど、引用されている”犬が書いた本”にしても、書かせた経緯や過程は日本なら「コックリさん」海外では「ウィジャ盤」みたいな感じなんだろうなと私は解釈したしそれを犬が書いたものと信じて本にしたというのは判るけれど、それと冒頭のティル・オイレンシュピーゲルの話はそんなにつながらないような気がしました。

それより最後に引用されている、オイレンシュピーゲルと似たような話のアラブ版が面白い。アラブの人たちの鷹揚さや頭の良さを感じました。少なくとも誰のことも不快にしてないだけオイレンシュピーゲルよりはいい人たち。この話だけでも一読の価値あり。

 

「靴の中に土を入れて誓う」

こちらもティル・オイレンシュピーゲルの一話を引用しながら土地と中世の人とのつながりなどを解説していて人が土地の所有権を主張するときの頓知というか屁理屈というか、しょーもないようで命をかけたガチな方法を使ったらしいと。その土地の土を足元に用意することで違う場所であってもその土地であると主張するという方法だからいまから見たら本当に変な理屈だしちょっと甲子園の土を連想するところもあるような。

そして引用されている画像で当時中世の人たちが履いていた靴が紹介されているのだけど、いま見るとトンチキ極まりないあの先の尖った靴が本気で履かれていたんだな…あれなんの利点があるのか調べよう(調べた:実用性無視で単なる無駄に長続きした流行のデザインの靴で、弊害で外反母趾で苦しんだらしい。そういえば特に必要性もなく見た目が良いということでコルセットとかでかすぎる飾りがついたカツラを着用する文化の人たちだったわ…)

 

「風呂」

十六世紀まではヨーロッパでは公衆浴場が整備されていて、身分関係なくというか、身分の低い人に対しての施しとして頻繁に利用できていたという話。そういう言葉は使われていないけれど、カソリックの一定以上の地位や収入がある人にとってのノブレス・オブリージュだったらしい。が、梅毒の流行に加えて宗教改革からは廃れたと。「徳を積む」とかいった考え方がプロテスタントにあるのかないのかは知らないけど、恵まれない人たちに入浴させることで徳を積んで天国へ行きたい気持ちがそこで途絶えたらしい。大体において不潔なイメージがあるヨーロッパだけど、公衆浴場が廃れたことでさらに汚くなったのかどうかは気になるところですが、そこには触れてないな…

 

「中世びとの涙」

平家物語」で武士が袖を濡らして泣くことを筆者が興味深く思うので中世の騎士はそうじゃないのかと思ったらめっちゃ泣くし、なんなら古代ギリシャもよく泣く(神は涙が流せないというのは先日別件で知った)という。というか泣くのが「女々しい」と思う方が割と最近の思想なんじゃないの?泣きたければ泣けばいいんじゃないの?と読み手のわたしは思うのであった…韓国ドラマで男性がめっちゃ泣いているのを見てわりと戸惑っていたけれど、「泣く」ということが恥ずかしいという文化のほうが面倒くさく思えてくる今日このごろ。(西洋、とりわけUSAが一番「泣く」ことに抵抗感があるみたいな話を英語の授業で勉強したなあ)

 

「中世における死」

キリスト教が浸透するまでお葬式は宴会色が強く、しめやかなものではなくてにぎやかなものだったというのは死者との距離感や思いの感覚が歳を重ねるごとに遠くなるからかと読んでいて感じた。死というものを忌まわしく思ったり遺体を人間と思わなくなっていったという流れがあるらしい…帰ってきてほしいかそうでないかの違いもあるとか。またキリスト教が浸透するのが遅いと風習も違うとか。プリミティブな風習のほうが私は好きだけど、それらを滅ぼしていったのがキリスト教とか仏教なのよね…火の鳥でもやってた。

 

「現代に生きる中世市民意識

書かれたのがかなりまえの論説なのでますますもって働き者の日本人の感覚で見た、お休み上手のドイツ人の生活がどこからそうなのか、って話。中世ではギルドの中でかなりのブラックを強いられており、なんとかもぎ取ったのが「ブルーマンデー」だったとのことで、このブルーマンデーは今で言うサザエさん症候群と同義のやつじゃなくて、いろんな意味合いからそう呼ばれるけど月曜日も休ませろ休んでいい休んじゃだめだって感じで休みに当てようとしていたらしい。禁止されることもあったけれど、やっぱり働きすぎるとモチベーションが上がらないからちょいちょい休みになることがあったと。昔から休みを取ろうとするムーブがあって今に通じる。500年やそこらかかってのいまのドイツの休みの取りっぷりだから、日本だったら普通に1ヶ月休みが取れるとかいった風習は何百年後のことになるんだろうか…取らせろ…

 

ブルーマンデーの起源について」

前節に続いてブルーマンデーについて。取るにしても結果的にギルドの活動のためにしか取れなかったみたいな結論だけど、それが飽くなき休みを取りたい執着心につながったのかどうか。

 

「中世賤民身分の成立について」

文体が講演かなにかを記録したものなんだろうなというのはわかったのだけど(発表だったらしい)そういう専門家が集まるなかの話なので、素人には若干説明が足らない内容ではある。が、私にはなんとか分かるという話のなかで、犬殺しが相当な罪だった理由について、著者は穢からだと言いたいみたいだけど私はそれだけでもなさそうなように受け取った。質疑応答できたらよかったのに。

賤民に落とし込むのは教会が過去の土俗的宗教では重要な立場だった人たちだったり、賤民がいて差別するからこそ自分たちを特別に思い込もうとする狙いがあったりと、された方にはいい迷惑の利己的な扱いだった。

強いものが自分の都合のために他人を貶めるのは昔から、そしていまもあることなのよね。

 

「黄色いマーク」

ユダヤ人を区別すると言うとホロコーストダビデの星のイメージが強いけれど、中世では黄色のペイントで二重丸だったらしい。キリスト教の異教徒への排他的な扱いって本当天罰喰らえばいいのにって思うよ!

その黄色いマークの理由や黄色が意味するものをいろいろ掘り下げていました。

 

「ヨーロッパの煙突掃除人」

大変なことを請け負う職業でいなければならないのに扱いは賤民。でもキリスト教の信仰から離れたところで彼らは幸運のシンボルだったらしい。

 

「人間狼の伝説」

古来から狼は恐怖のシンボルで、犬は生活における大事な相棒であった。そこからの延長で狼の皮をかぶったら狼に変貌する人間の伝説が散見されるようになるが、その人間が貶められるにつれて狼が恐怖の対象から蔑みの対象へ落ちていったとのこと。犬に関しては他の項でも言及されていたやつ。猫の話はないのよね…ドイツはシュヴァルツカッツの国なのに…

 

「病者看護の兄弟団」

中世は集団の中で様々な兄弟団を構成していったけどそのなかでも病者看護の兄弟団などをクローズアップ。信仰によるものもあるが、様々な施しの形があったらしい。日本だったらお接待みたいなやつかしら…ちがうか。

 

「中世ヨーロッパのビールづくり」

キリスト教というとワインだけどそれよりもっと古くから作られているビールについて言及。ビールは生活に根ざし、12世紀からすでに品質管理や流通管理がしっかりしていたらしい。

都市と地方、上流階級のものと貧民のビールで違いがあったとかここでも階級や都会と田舎など上から目線や差別、階級主義があり、なんか性格がよろしくないなあと勝手に受け止めたのでした。

 

シューベルトとの出会い」

「オーケストリオンを聴きながら」

「鐘の音に結ばれた世界」

「カテドラルの世界」

「ひとつの言葉」

「文化の底流にあるもの」

「知的探求の喜びと我が国の学問」

「自由な集いの時代」

「西ドイツの地域史研究と文書館」

「『無縁所』と『平和の場』」

アジールの思想」

「中世への関心」

「文化の暗部を掘り起こす」

歴史学の現在」

「私にとっての柳田國男

2022/08/12 読了したのですが、各題ごとの感想を書く暇がなく読んでたら各内容もごっちゃごちゃになっちゃったという…殆どが5分で読めて一部が25分程度(Kindle表示による)のですが、印象に残ったのが犯罪者(過失殺人)救済システムのアジールとか、ジプシー(いまは呼び方が違うけどなんだったけ)の扱いの悪さとか。

視点が40年以上前でドイツも併合前なのでものの見方や価値観が若干違うのは、読み手の私も西ドイツ時代を知っているからなんとなくわかるけど統合以降に育った人が読んでも大丈夫かしらん。大丈夫か。知っているにしても未だにベルリンの分け方はちょっと脳がバグりかけるよね。ややこしいし住むの大変だったろうなあ。

 

細かな知識となって蓄積されたのでまた何かの機会に活かされそうな気がするが、たぶん毒にも薬にもならない機会でしょう。

こういうジャンルの本をお風呂で読むのは集中できるのでいいかもしれないけれど、やっぱり物語がいいかなあということで次は物語を読みます。