夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

ウエスト・サイド・ストーリー(2021年の映画)

いち早く見放題追加されたというのを知ってDisny+に再び加入するほど見たかったのか?というのは疑問。

だって多分有名すぎる元の映画を見てない…はず。

見ていないけれどあまりにも多く語られ(主にジョージ・チャキリスのファンの母から)、劇中劇のように扱われた少女漫画が昔あさぎり夕先生の作品*1にあって、なかなかくどい作風(褒めてるし私的に間違いじゃないとも思う)で記憶に焼き付いているのもあり、それにもともとの大元がロミオとジュリエットなので作品を知らないわけではない。そして音楽もあまりにも有名だからかどの曲も聞き覚えがあり、「トゥナイト」は子どものころからよく口ずさんでいたし、冒頭のダンスは振り付けもちょっと覚えていたりする。体がわりと思い通りに動かせるようになったら誰でもジョージ・チャキリスのあの足はやってみたくなったんじゃないかしら、ある一定年齢より上の人なら。

そして私と同年代以上だったら一緒に思い出してしまうのがマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」じゃないかしら。

だからですが、見ているあいだじゅう、「ここでマイケルがいれば悲劇的展開にはならなかったのに」と頭にちらついていけない。あのマイケルのダンスですべてを平和的に解決という世界観を愛している。

 

母がジョージ・チャキリスのファンなのでかなり長い間ジョージ・チャキリスが主役だと思いこんでいたような。わたしはナタリー・ウッドのファンなのですが、彼女の相手役がジョージ・チャキリスだと思っていました。違うよね!

こちらの作品を見始めてすぐにもとの映画を見ていなかったことが痛恨のミスだわとわかったのですが、知らなければ知らない見方もある…かも!と見続けつつ、元の作品はどこかで配信で見られるだろうと高をくくって調べていたら、U-NEXTでしかたぶん見られないことが判明。AmazonなりAppleで単品レンタルもできない。どゆこと!!??

 

なので、元の作品をざっくりにしか知らない状態で、こちらをスピルバーグが作ったミュージカル映画として見ることにしました。

舞台がこの映画のために作られた街なんだろうけど書き割りに見える瞬間があったり、劇場の舞台に見えたり、「お芝居」「ミュージカル」という雰囲気がはっきり見えてあまり現実感がないのが面白い。ミュージカルって現実感がないから嫌いという人もよくいるのだけど様式美として愉しめばいいと私は思っています。子どもの頃からミュージカルが大好きだったから、初めてそういう意見を聴いたときに自分の馴染んでる文化とは違う文化の話を聞いているような気分になりました。元カレの意見だったから余計に。

なにも知らないで見てるから冒頭のダンスや喧嘩のシーンは全員モブに見えるのはいいですね。ラ・ラ・ランドでも冒頭の歌と踊りは全員が主役に見えたけど実は全員モブというのがよかった。誰もが主役になる可能性があるのが見せられるのがミュージカルとか踊りの舞台の群舞じゃないかしらと私は勝手に思っている…

ダンスパーティのシーンでプエルトリカンは暖色系、白人は寒色系の衣装の中でマリアが真っ白なドレスでどれだけの群衆の中にいてもクローズアップされる映し方に見入ったり、技術的な部分にばかり目が行くけれど歌とダンスはやはり素晴らしい。

やっぱり見たことがあるのかなあ?と不思議に思うほど歌はよく知ってるんですよね。いつどこで歌い出すかわからない油断できないほど歌いそうな台詞回しと機敏な動きでなかなか見る目を離せないところがある。

 

トランスジェンダーのように見える(演じている人はノンバイナリーなので厳密にはどうとも言わない)エニーボディズの存在が今どきに感じるけどもともとの分断された両派閥という世界観はどこにでもありそうだからいつの時代に見ても人の心に響くんだろうなあ、派閥間抗争という点では。ロミオとジュリエットやトニーとマリアの関係性に共感を抱くかどうかは人によるけど。

ロミオとジュリエットの方もオリビア・ハッセーが出ている方は未だに見たことがなく(チャレンジしたけど寝たので見られてない、かもしれない)、バズ・ラーマン監督作品でディカプの「ロミオ+ジュリエット」はDVDを持っているし何度も何度も見ているのでセリフも覚えていて、こちらの作品を見るときも物語の参考にしているのはそれだったりするので、ティボルトとマーキューシオが誰だどっちだというのもそちらで照らし合わせるという、脳内はとても忙しい状態になっております。が、決闘の展開は違うのね。まずマーキューシオが一方的に死んで間際に呪いの言葉を叫ぶってことはなかったんやね。(バズ・ラーマン版のあのシーンが大好きで)

 

マリア役の子の目の演技が好きで引き込まれるな。この度ナタリー・ウッドのあの歌は吹き替えでしたと知って衝撃を受けたのだけど(本人も激怒したらしい)こちらは吹き替えもないし、評価されたらいいのだけど*2。恋に恋するような、初恋に浮かれている感じの雰囲気も嘘くさく感じない。美術館へ連れて行ってくれただけでどこが素晴らしい人なのかちゃんと教えてほしいという私個人の疑問はさておき、浮かれているのはわかった。それでいい。

恋愛描写は人種間対立より短絡的に描かれていてわりと雑なのが面白いし、アンセル・エルゴートだから細やかさは求めないほうがいいような気にもさせられます。顔立ちとか雰囲気のせいか、昔のアメリカの白人のモテ男の偶像に近くて現代では好まれない中身の薄い感じがする。もちろん本人がどうだか知らないけれど、拗ねたような表情とか、かっこいいのは確かだけど彼そんなに重要?って思えるような。雰囲気と役どころで騙されそうになるけど案外大したやつじゃないような。仲裁に入ったのに結局暴力沙汰なあたりがトニーやロミオの無駄に主人公だけど誰も守れないという役どころにフィットするんですよね。駄目じゃん!って思わされる感じ。でも表情とかうまいんですよね。

この主役揃って、たぶんロミオとジュリエットがリアルタイムで上演された当時からいろいろつっこまれていたと思われる、「この二人の主人公の幼さ、拙さ、盲目さよ」が活きている。何百年も突っ込まれ続けた「(ロミオの)どこがいいんじゃい」がここにも。この二人の素晴らしい瞬間って出会いと別れが全部なんですよね。

 

神父の立場らしい女性をリタ・モレノが演じているのですが、全然90歳に見えなくてすげーなと思いつつそういえばクリント・イーストウッドのいる国ですよ、と妙に納得したり。年齢ってなんなんでしょうか、老いってなんなのでしょうかと物語と違うところで考えてしまう。

知らなかったらいいとこ70代だと思ってたかも。憧れるわあ、こうありたい。

というかスピルバーグはリタ・モレノに歌わせたくてこの映画を作ったんじゃないの??昔演じた役とオーバーラップさせながらさ。元の映画を見ていたらかなりエモいシーンなんじゃないかな。うちの母に見せたい。

 

やっぱり恋愛ものとしてより移民の悲哀とか人種間抗争とかそっちの方が色濃くて胸をかき乱されますね。さすがスピルバーグ…恋愛描写は微妙なスピルバーグ…でもこの作品ではこれが正解では…

2つの集団で分断され、憎み合っているけれど実は同じ不安を抱えているし、背景も積み重ねた時代が若干違うだけ(何代目かの移民か初代の移民か、という違い)で全然違う属性の自分からしたら似たりよったりのなかで繰り広げられるつまらん諍いなんですよね。終盤でアニータがジェット団に襲われそうになったところで白人女性が助けようとするあたりに、ソートする属性が変われば彼らは仲間になり得るという部分が示唆されているし、ヴァレンティーナは両者の母なる存在であるのも本当は近い存在なのだというのがわかる。

 

そして、ラストに私は瞠目したんですけど、これ元の映画もそうなんですね!!!

私この作品のほうが好きかも!そりゃあすでに様式となってしまったところがあるロミオとジュリエットはあのオチだからこそ美しいんだろうけど、こっちはこっちで悲しいけど未来があるし、すごく雑に両者融和されるのもいいと思う。雑だけど。

全然知らなかったからいい刺激を受けました。

 

音楽が本当に素晴らしすぎて、他の作品でもよく使われているからドラマ「フレンズ」でキャスリーン・ターナー演じるチャンドラーの父(母)が登場時に歌っていた曲も元ネタがこの作品だと気づきました。

歌のシーンだけもう一度見よう…あとなんとかしてウエスト・サイド物語も見よう。

2時間半ちょっとあるから本当は勘弁してくれって思うけど、長さ以外はいい作品だと私は思います。

 

 

*1:たぶんこちら

作中で舞台が上演されたんじゃないかな、すごく記憶にある。キラーの「B」とか。「なかよし」の少女漫画にしては作風が濃いのよね

*2:このあとゴールデングローブ賞を受賞していたのを知る