夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

22007 コードウェイナー・スミス 人類補完機構全短編2「アルファ・ラルファ大通り」

珍しく、シリーズ通して読んでいます。全短編1より話数が少ないので短編と言うより中編で占めているんでしょうね。世界観とか作者本人の思考の向きとか馴染ませた上で入ってみたらもっと理解できるのでは…と思ったら。

 

甘かった。

 

 

「クラウン・タウンの死婦人」

作中ですでに伝説となり語り継がれる犬娘ド・ジョーン(ドはDogのド)と彼女が伝説となるために関わった真人と下級民とロボットの物語なのだけど、読み手への気遣いがなくただ頭の中に描かれたものを書いたような文章で以前読んだ作品にもあった説明のなさも相まって物語の大筋を掴むのがなかなか大変で、読んでいてもしばらくは「変な話だな」と思うばかりだったんですよ。

事故みたいな問題が発生していい加減な生まれ方をしてしまった真人の女性が身の振り方に惑い彷徨っていると昔元老的な立場であった女性の魂というか精神が刷り込まれたロボットに出会い、自分の運命を知らされるというところから運命の恋人に出会うんだけど、出会ってからの事及びがとても雑。昔のご都合主義恋愛ソフトポルノみたい(昔の本だけど。ポルノみたいな表現はほとんどないけど)。

最後まで読むと下級民と呼ばれる虐げられた獣人たちに初めて人権が与えられるきっかけとなった革命の物語で、ド・ジョーンはジャンヌ・ダルクだったという解釈をしたけどそこに至るまでの描写の雑なところと逆に超細かいところがまちまちで、細かいところは悲しいくらい残酷で、もちろん読ませたいのはその残酷な部分だったんだろうな。

武器を持たない代わりに攻撃してくる相手へ愛を表明することで革命を行い、主張のそこかしこに愛と自由があるのでセリフがとても詩的に感じるのだけど、愛も自由も夢のような話だからそう感じるのかもしれない。

攻撃に対して愛情で応えるというのは攻撃してくる相手の戦意を喪失させ、抗って暴力をふるおうものなら罪悪感を生むので、なるほど愛情の押し売りは怖くて強い、最強かもしれない。

誰がどこまで何ができるかが全くわからないので自由というか都合よく人が使われていて、説明をしないことの良さと悪さがわかりやすく、物語づくりの勉強にもなると思います。

 

「老いた大地の底で」

コードウェイナー・スミスの遺作とのことだけど、ぶっちゃけ変な話です。変な話ではあるけど、物語を理解しようと努めてなんとなくわかったのは命を脅かされることがなく、安穏と生きる平和ボケした人類に不安を齎すことになったけどそれが逆に発展に導いたらしい…ということ。恵まれすぎた環境は発展を産まないのはなんとなくわかるけども。そうするための過程が珍妙すぎてなんでそういう設定にしたんだと不思議でした。変なのにボリュームはたっぷり。この2作でこの本の半分くらい使ってますからね…

電子書籍じゃなかったら挫折してたかも。なんで電子書籍なら読めるかちょっとわかりませんが、電子書籍で、お風呂で読んでいるから変な話も受け流せたのかも。

 

酔いどれ船

読んでいて驚いたのが、こちらは物語が「スキャナーに生きがいはない」に所収の「大佐は無の極から帰った」と共通している部分が多いってことですね。3人の医師のうち二人の名前が一緒だし、宇宙に出て謎の生還を果たし、衣服を着せても暴れて破り、変なうつ伏せをする男性が出てくるところも同じ。こちらのほうが物語性があるかもしれないけど、この本で読んだ他の作品と同じくちょっと変で且つそれまでの世界の常識を一変させる事件が起こります。しかしそれを描きたいにしては過程の描写が変なのよね…変、という表現をついついしてしまうくらい他に言葉を見つけるのが難しい。超可怪しいでもいいか。

こちらの方は人為的に謎の生還を果たすし果たせた要因も人為的。向こうは偶発的な出来事があり、そこからの復帰もプロセスが違う。なんで腹ばいサボテンダーのような状態になるかはどちらも明らかにされない(「大佐は無の極から帰った」はなんとなくわかるんだけど。平べったい世界から帰ったからじゃない?)、ハッピーエンドの形が違う。オチは前者が一般受けしそうだけど私はどっちも好きかもしれない。

同じモチーフの味付け違いと言うか、リミックスというか。ヴォマクト(名前が変わった方の医者。名前をヴォマクトにすることが大事だったんだと思う)とゴーキャプテンが出たあたりが人類補完機構シリーズが成熟してから書かれた感じがするかなあ、猫たちがモノ扱いされていて可哀想だった。ロードなんとかがそういうことをする奴なんだ、って描写なのかな。

アルチュール・ランボォの詩を熟知していたらもっと楽しめるんだろうけど手持ちがどこに行ったかわからない。

まだ同じ設定で別の話があるかもしれないから油断せずに行こう…(急な手塚国光

 

「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」

これまでの作品より物語性が高く、エンタメ色もあった…が、独自の世界観の色も濃く、これだけ単体で読むと飲み込みにくい部分もあったかもしれない。

でも日本人なら「鬼平犯科帳みある」「ガンバの大冒険のノロイがなんでイタチだったか」という切り口から読むと面白いし書き方にも納得できるかも。主人公がどっちか、読み始めの感情移入の仕方で受け取り方も変わるか。キツい描写もあるので心が弱っている人は読まないほうがいいかも。

 

「アルファ・ラルファ大通り」

ポールとヴィルジニーという、コレットの小説を思い出すような(読んだことないけど)二人が主人公で、これまでの展開を踏まえて不自由を選択できる自由というものを手に入れた人類がぬるま湯で育ったこれまでと違った、刺激的かつ不便で命がけの日々を幸せに送ろうとするが、新しい生き方を得た二人がお互いが結ばれる運命であるということすら補完機構によってそうなるよう造られたのでは、と懐疑的になったヴィルジニーが自分に予言を与えたアルファ・ラルファ大通りの向こうにあるアバ・ディンゴを彼女の本当の運命の男であると匂わせるマクトと向かう、というあらすじなんだけど、この作品における古代にいる私から見たら古代への懐古主義を歪に楽しみ、フランス人とフランス語にこだわる彼らが奇妙だったりシュールだったり感じます。まあ、変なんですよ。

アルファ・ラルファ大通りの描写は疲れているときに見るような悪夢みたいなところがあり、読んでいるとうんざりしてくるのだけどク・メルの登場だけがカタルシスかもしれない。私が特別にク・メルが好きだからかもしれないけれど。作者も愛してたんだろうな、ク・メル。

 

「帰らぬク・メルのバラッド」

ク・メル(猫娘かつ政府お抱えの接待、ホステス的な役割を持つ遊び女で獣人のカリスマ的存在のク・マッキントッシュの娘)が父の葬儀の際に補完機構の幹部ロード・ジェストコーストと出会い、彼女の中にある神のような存在のイーテリーケリーを見出す。ク・メルは獣人で下級民と差別される階級にいるが、イーテリーケリーとロード・ジェストコーストの策略により下級民に人権が認められるシステム変更が行われるという、これまでの短編の中でもよく描かれた下級民の地位向上がようやく行われた感じ。それは表の話で、真人のロード・ジェストコーストとク・メルの愛が重層的にじわっと描かれるという、表向きの話は結構雑に片付くのだけど優しい余韻を残します。

 

「シェイヨルという名の星」

1作めの「スキャナーに生きがいはない」所収のスズタル中佐の犯罪と栄光でも触れられたシェイヨルという受刑者が流される星について描かれるのですが、頼むから実写化とかアニメ化しないでほしい。

どんな星なのかは、未開の地のサバイバルものの中でも過酷の極みで想像すると吐き気を催すレベルで、看守代わりの牛人間からとんでもねーケアをされながら生き続けるけどそれを地獄と思わないのが地獄。

でもその看守には美点があって、そのおかげで話が思わぬ方向へ展開するのでした。

このお話もまた体調が悪いときに見る夢のようだけど(読んだせいでいつかこれに近い悪夢を見そうで怖い)地獄のような世界からの好転というのはこの小説集に所収されている本の割とどれにも言えるかもしれない。

 

と、言うことで4月17日漸く読了。

変なお話が殆どで読むのが大変だった…全容を掴むのも大変だし、掴んだところで腹が立つし気持ちがいいとは言えない感じが強い。「帰らぬク・メルのバラッド」は終わり方が好きですけどね。

1作めの「スキャナーに生きがいはない」とは趣がちがうのでああいったのを期待したら凹むかも。

虐げられるものが人権を得るとか満たされた幸福から不自由を選択することでさらに幸福にという考えさせられるエピソードもあるけど2回表現したように、体調が悪いときに見る悪夢のような描写が点在しており、決して気持ちのいいものではない感触が強かったです。

 

このまま3作目を読むことはたぶんなく、そのうちこの独特の癖が恋しくなって読む日が来るかもとは思います。「ノーストリリア」も読み返したいな。コードウェイナー・スミスがとんでもなく頭がいいのはわかったけど、当時の文化や世界情勢を踏まえても彼の見えていた世界はとびきり変だったと私は推測します。あー変な話ばっかだった。