夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

24030 アガサ・クリスティー「春にして君を離れ」 感想

結婚前必読図書にすればいいよ!!!本当に!

優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバクダードからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる……女の愛の迷いを冷たく見すえ、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。

 

上記のあらすじを全然読まずに「今回どんな死に方をするのかな〜」くらいの気持ちで読んだら人が死なないミステリでした。

はっきり言っていままで読んだ、読んでないのにオチまで知ってるアガサ・クリスティ作品の中で一番好きです。それまでは「そして誰もいなくなった」か「おしどり探偵」だったんだけど。

 

冒頭から主人公ジョーンの性格が悪いのがわかるのですが、まあこのくらいの悪さだったらそこら中にいるからと面白がっていたのですよ。性格の悪いおばちゃんが出てくる作品が大好きで。

そしてお話の骨子がなんなのかが薄々わかってくるとジョーンの性格の悪さがだんだんいたたまれなくなってきます。

私は自分に子どもがいないし母親に苦労したので(というか家族全員に苦労してる)娘目線で読んでいて、彼女が勘違いしている様々なことの本当のところが彼女が気づく前にわかってしまい、そこを察するように書けるアガサ・クリスティーの筆力に唸ってました。

どこにでもいる過干渉で支配欲が強く、気位の高いおばさんですが、自分の愚かなところに対する自覚がほとんどないのでたちが悪い。周りの人は内心反発しているんだけど、わりと正論言ってるしなにも伝わらないし理解してくれそうにないから諦めがち。

長女のエイヴラルが私にそっくりなんですよね。母親に対して冷淡で慇懃。鋭いことを指摘はするけど諦めのほうが勝ってる。

 

旅先で一人で手持ち無沙汰になったときに、おそらく生まれて初めて自分が気づいていない自分について深く知ることになるんですが、その経過が「ベニスに死す」の主人公のようにフラフラでした。あの作品は映画しか知らなくて、ダーク・ボガードが頭をよぎりました。

 

そんなフラフラななか、自分と周りの人たちにある謎に迫っていく主人公。

ここでなにかしらの天啓を受けて改心して新しい日々にキラキラするんだったらまあいい話ねーってなるかもしれないけど(私的にそれはつまらんけど)そうじゃないんですよね。

 

この主人公、ジョーンをどう思うかでこの物語へのケリの付け方が違うと思うのですが、私は憎めない人のように感じました。この世界に自由などないと真顔で言えるところに根っこの部分からとんでもない人なのがわかりますが(自分にも自由を与えてない感じが、そこを読んだだけでも息が詰まる)、何に対しても本気なんですよね。

自分が優越感を持てる相手への気持ちが正直で、劣等感を抱いてしまう相手とは距離を置こうとするあたりの本能的なバランスの取り方が上手、自分を守るのが上手な人は長生きできるし、その人個人はそんなに悪くない。ただ周りへも自分の価値観を押し付けるからたちが悪いだけ。

 

SNSの時代の今だったらちょっと発信しただけで直接はっきりと異を唱えられ、自分のだめな部分に気づけるかも知れないけど…いや、うちの母みたいに気づかないまま年を取るよね、いまのところはね。

うちの母、クリスティが好きなんですがこちらは読んでないんじゃないかなあ。読んでいたらいたたまれないしもうちょっと自分を振り返っていると思うんですよね。

子どもの友達や伴侶選びに口出したり、友だちと思っている相手の自分より劣る部分を目ざとく見つけて内心で嘲りながら同情するふりをするとかやらないと思うんですよね。

そういう母親がいたことがある人じゃなくても、結婚する予定があったり子どもがいたらぜひ読んで、自分はどうか、どうなるかを考えたらいいと思う。

作中でジョーンの夫、ロドニーが結婚について娘のエイヴラルに語るシーンがあるんだけど、そこだけじゃなくてもロドニーの言葉の端々に恨みと諦めと怒りを感じるんですよ。寛容に受け流しているようで、本気で対決しないあたりに残酷さが内包されているような気がします。

母親の過干渉から逃げるために遠方にいる人と結婚をするというのは同級生のケースであったなあ。家族にひどい影響を与える前の警鐘になりそう。

 

逃げるか諦めるかしかないんですよね…そして本人ですらそうなんですね。もはやサガ、業というものかもしれません。

 

本当に面白かった。クリスティーはノンシリーズのほうがいけるかも。おばちゃんの描写が巧みだからミス・マープルも好きです。