夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

「めぐりあう時間たち」(映画)感想

やっと解禁。

絶対「ダロウェイ夫人」を読んでから見たほうが良いんだろうなあと思って見られないまま幾星霜。

やっと読んだので見ていますが、やっぱり読んでないといろいろわからないんですよ。

 

まずとんでもねー大女優だらけの出演陣ですが、私はジュリアン・ムーアがむちゃくちゃ好きなので彼女が繊細な演技をしているだけで嬉しい。口には出さないけどなにか切迫感を抱えているのがわかる。

 

原作は読まないで一足飛びに映画を見ちゃったのですが、長年本を読む人を悩ましがちな「原作を先に読むか、映画を先に見るか」問題に新たなアンサーを得たような気がする。

登場人物の各々の事情やこれまでの様子はそれぞれの背景を含むカットやちょっとしたセリフなどで語られているので本を読んでいるような感触を受けて、「ダロウェイ夫人」を読んだから彼女たちがなにを抱えているかもなんとなくわかったからそれぞれの一日の物語をそのまま見届けるような感じ。

 

 

特殊メイクがすごくてニコール・キッドマンがまずニコール・キッドマンに見えないし怖いし、エド・ハリスジュリアン・ムーアもなにも知らないで見たら騙されるかもね。

子役とエド・ハリスがふんわり似ているのがすごかったな…そして、エド・ハリスは一瞬出ただけでなにか重い病気を患っているとわかってしまったので、それだけでアカデミー助演男優賞を受賞しても良かったのではと思ってしまいました。

言われる前にエイズ患者だってわかってしまった。それはエイズ患者としてのテンプレの姿なのか、私はエイズ患者をそんなに映像で見たことがないのにわかってしまった時点で彼の雰囲気作りも素晴らしいと思うのだけど。彼の姿を見ただけで「体の贈り物」の一話目の「汗の贈り物」を思い出したんだから。

「汗の贈り物」はエイズ患者の男性とホームケアワーカーの関わりの物語で、私は思い出しただけで泣いてしまう、素敵な作品です。

 

「ダロウェイ夫人」を執筆しようとするヴァージニア・ウルフと1951年のダロウェイ夫人であるローラと2001年のクラリッサそれぞれの一日の物語でしたが、それぞれその時代の女性の苦しさを抱えていて語り方がうまい。セプティマスの存在もどこかに感じたり出来ます。

感動するとか泣けるとかいう作品ではなくてダロウェイ夫人の読後感と似たようなものを引きずる気はする。死にたい気持ちってどんなに楽しいときにもどこかに秘めているし、それは年を取ればとるほど実感するようになるのかも、でも他の人が自分の捨てたものを持ったまま死んだりしたら、それを知って救われるところがあるのかも。

または大事なものを捨てて生きることを選ぶ人を知ってまた自分もなにか大事なものを得るのかも。それぞれの解釈は自分の都合の良いようでもいいのだと思います。それが生きる理由になるのなら。

 

やっぱりいい作品でした。でもニコール・キッドマン、そんなにヴァージニア・ウルフに寄せなくても…とは思いました。最近のレナード・バーンスタインに寄せたブラッドリー・クーパーもだけど。無理に寄せなくても演技で魅せてくれたらいいのにね。

私はそういう意味で外見を変える役作りにはわりと否定的なのでした。逆に集中力が散るんですよね、元の顔を知っているからね。