夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

聖伝ーRG VEDA−をご存知ですか

いま(2022/04/23現在)Amazon紀伊國屋書店ウェブストアなど電子書籍CLAMP先生の作品の多くが半額セールをやっているのですよ。

一番好きなのはカードキャプターさくらとXなんですが、さすがにXは半額でもハードル高いべということで大昔に読んだきり(なのにやたら覚えてる)の聖伝を買いました。

 

最強の武神将夜叉王は、天界を過酷なやり方で統治する天帝帝釈天に反旗を翻し、帝釈天に滅ぼされた阿修羅族の最後の生き残りである幼い阿修羅王を守り、「天を滅ぼす」と予言に示された六星を糾合する旅に出る。多くの犠牲を払いながらも集まった六星の内の5人は、帝釈天の居城に討ち入って帝釈天と対峙する。その最中、阿修羅王はついに真の姿を現わし、予言を成就させようとするが……。

中学生の頃に初めて読んだのですが、仏教徒の私に馴染み深い人たちが出てきて「男はつらいよ」でおなじみの帝釈天が超悪役なのに度肝を抜かれつつ、性別の垣根なく愛し合う登場人物や謎のチャライケメン、元気だけどなんか死亡フラグ立ってる脇役など魅力でいっぱいでまじでこれデビュー作かと慄くほどの画力とお話づくりに感激しまくって最後まで追いかけました。

まあ、でも私は高河ゆん先生の作品の方をよく買っていましたが。高河ゆん先生の存在が「お話を最後まで描かない(描けない?)漫画家がいる」ということを教えてくれました…それまで大手コミック雑誌の漫画ばっかり読んでたから作者のお話づくりがアレで頓挫とかいうものになかなかぶち当たらなかった。後々にはいろんな漫画家さんを知っていくんですけどね。西村しのぶ先生とか、PEACE MAKERの人とか。

 

いま読み返すとストーリー展開が早い冒頭で危ない危ない言われて容易に想像がつくのにあっさり滅亡しちゃう夜叉族、運命だなんだという理由付けで阿修羅を守る夜叉が案外ぼんくらではとか理由付けが希薄なのをメランコリックな雰囲気でごまかしてないかとか思ったり(終盤できれいにまとめたけども、一族が滅ぼされるくだりはあまりにも無防備で迂闊で展開が強引だったな)、当時から疑問に思っていたんだけど「汝ら」ってどう読むの?「うぬら」でいいの?(愛蔵版4巻で漸くルビが振られているのを確認「なんじら」でいいらしいけどなあ…「なんじら」だったら語呂が悪くないかと当時に思っていた)とかいらんところが気になったり、そして当時まさに中2とかだったから中2部分をくすぐったあれやこれやを思い返したら妙に自分の黒歴史をほじくるのでちょっとだけ恥ずかしくなったりしました。

 

なんか憧れるやん、手から出てくる剣とか。私の中にある様々な中二的要素の源流がだいたいCLAMP先生たちなんだよね、東京都庁の地下にワクワクしたり、高野山に夢を見たり。

 

帝釈天の壮大な愛とか蘇摩と乾闥婆王への重く優しい弔いなどの意外な思慮深さとかそれまでのギャップに引くけどリアルタイムで読んでいるときは乾闥婆王と蘇摩の関係にしても帝釈天阿修羅王の関係にしてもわかってるようでピンときてなかったかもしれないな。

 

わりと都合が悪くなったり用がなくなったり主人公に何かしらを負わせるためならどんな立場でもぶっ殺すところがあるよなーと他の作品で死んでいった人たちのことも思い出していました。でも好きなんですよね。序盤の序盤は粗かったけど途中でいきなり画力が改善されてびっくりした。そこからは長く親しんだCLAMP先生たちの絵でした。成人男性の肩幅がむちゃくちゃ広い、大人の女性の目尻が耳まで届きそう、顎刺さったら痛そう。でも美しい。

 

一番好きだったのは乾闥婆王だったのですが、結局おまえなんやねんというキャラながらやっぱり好きでした。もうちょっと前向きに幸せになってほしかったなあ