劇場版おっさんずラブを見て1週間、ようやく呼吸が落ち着き、理性も自分でコントロールできるようになってきたけれど5日くらいは情緒不安定でオロオロしていたような。

劇場版おっさんずラブ?LOVE or DEAD? オフィシャルBOOK
- 作者: 2019「劇場版おっさんずラブ」製作委員会
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2019/08/23
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・ 林遣都氏の演技がすごいから、他の役では牧くんの片鱗も見せないだろうからこれから先は新しく牧くんの姿が見られないんだろうなあと思う寂しい気持ち
・牧くんがシンガポールへ行っちゃったから(すぐに帰ってきそうだけど)二人が仲良く暮らす姿を見ることなく劇場版が終わってしまったのがちょっと惜しくて寂しい(これを不満に感じている人がわりと多いね。私は不満ってほどじゃないんだけど、見せてもらえませんでしたかー…って気持ち)
・なにしろいまは劇場に行かないと見られないから、一時停止・早送り・早戻しが出来ないのであのシーンこのシーンをじっくり見たくても見られない(主に花火デート前半の話をしている)
という如何ともし難い欠落感を埋めるためにとりあえずお婿や趣味に理解がある男性の同僚や親友や義理の妹にあーだこーだあーだこーだ話すものの、ちょっとこれは自分でも引くわと思いながら気持ちの整理をするために自分の気持ちに寄り添う音楽を当たったり、なんか世界観がぜんぜん違うものに触れようとして椎名林檎の「三毒史」を聴いてみたりね。

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で、この「三毒」に行き当たり、うちのお婿と親友は哲学・神学・心理学方面の人達なのでそのへんの造詣が深く、時折彼らの会話でこの言葉が出るなあ、主に私の貪欲さについて話しているときに、どういうことじゃろと、この度調べてみたんですよ。
三毒 読み方 サンスクリット語 パーリ語 意味 象徴する動物 貪 とん rāga, ラガ, राग lobha, ローパ 貪欲(とんよく)ともいう。むさぼり(必要以上に)求める心。一般的な用語では「欲」・「ものおしみ」・「むさぼり」と表現する。 鶏 瞋 しん dveṣa, द्वेष dosa, ドーサ 瞋恚(しんに[1])ともいう。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する。 蛇 癡, 痴 ち moha, モハ, मोह moha 愚癡(ぐち)ともいう。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。 豚 [2]
以上、ウィキペディアより
SNSでよく目にするネガティブな要素もこれらに当てはまるような。
私は特に好きになったものに対してものすごく貪欲なパワーを発揮して、そらあ自分にとって人が多くて辛い場所にあるシネコンで公開日に2回も見るわ、大人の武器であるお金を存分に使ってありとあらゆる媒体の記事を追いかけるわ、配信を追いかけるわ。
まあおっさんずラブだけにとどまらず、日頃からそういう傾向がある。だいたい消化できるとはとうてい思えない数である数千冊の本をいっぱい持っているとか、消化しきれないゲームソフトと本体を持っているってだけでどうかしているもの。
そんなに貪っていて、気がついたらものと情報にあふれていてハッと現実に戻るととんでもないものを抱え込んでいるってことはままあることで、その時の気持ちなんて本当、椎名林檎の「鶏と豚と蛇」なんですよね。
これでは良くない、理性は何処へ行った、もともと私は何を楽しんでいたっけ?と立ち返って、最近ハマってる刺し子をちくちくとやるとこれはこれでハマる。いつまでも無心で刺していたい。同じモチーフでいろいろな色で刺したい。この布もっとほしい…とやっぱりまた貪欲になり無心何処行った?ってなるの。
確かに三毒の「毒」とは言い得て妙で、抱えていると最初は楽しいのにだんだん苦しくなってくる。劇場版は確かに楽しかった。素晴らしかった。でももっと見たいし込められたメッセージを知りたいと思い詰めるうちにしんどくなっていく。でもこれがまた甘美でもある。よく萌えの過剰供給により人がその胸に抱えるものへの気持ちを「しんどい」と表現するけれどまさにそうなんだろう。
物語の締めくくり方がああなのは、プロデューサーさんや脚本家の方のインタビューを読んだらなるほどと思う。下手に二人はまた一緒に暮らしているという終わり方より二人の結びつきの強さを感じる。続くんだ、って感じ。
でも視聴者にはここで終わりなのでしんどい。続いたって見れないじゃん!って。
で、あーでもないこーでもない、しんどい…牧くん、私は寂しいと、家でとりあえず連ドラ版を食い入るように見るという。
人によっては三毒のうちの「瞋痴」に転ぶ。ハッシュタグつけて不満たらたら言ったり、褒める人をdisったり、公共性のあるレビューサイトで☆1つけて「こんなの見たくなかった」とか言う。作中で喧嘩と行き違いが目立っただけにな。思うようなエンディングでなければイチャイチャもろくにしないとなるとな(私にはあれで十分ですけど、日頃BL慣れしているととんでもねーのを期待するのかね)
でもそういうものにおかしくなって外に攻撃していく前に、ちょっと冷静になってみませんか、とも思う。そこまで悪く思うなら手放したり距離をおいたほうがいいのではと。
何につけても偏りすぎるとよくない。中道(ちょうどよい)のがよいというのが仏教の教えの中にあって、断食とか過酷な修験道も本当はよいものじゃないとする傾向もあるそうな。
よりよいバランス感覚で物事を見つめて生きるのがよいと。
私のいまのツイッターIDに「golilockzone」ってキーワードを入れているんですけど、これも「ちょうどよい場所」という意味があるんですよね。地球のような惑星ができる条件の整ったちょうどよい環境という宇宙関係の用語らしいんですけど。
このちょうど良さって大事だなと改めて思うのです。
…と、仏教だの宇宙だの持ち出した自分に対してハッと冷静になり、なに私、萌えから自分を律するために悟りを開こうとしてるううううう!って戦いているんですが、何につけても夢中になるときとそうでないときのメリハリって大事だなと、いまこそはっきり自覚しておきたい。耽溺もいいんですけどね、でも作品とより良く長く付き合うためにはこういう一点集中型のしんどさを抱え込むとあまりよくない。
そのしんどさから自分を開放して、ほどよく優しい気持ちで作品に向き合えたらいいなと思って…
明日、3回見てくる。
*1:
(おまけ)
仏教の思想にちょっとハマってるのは、先日美容院に行って、私は美容院もあんまり好きじゃないんですよね。美容師さんと必要以上に話すのが苦手だし、人の話す言葉が耳に入ると忘れられなくなるのが辛い。本当、頭から抜けないんですよ。
私が行った美容院は無駄なおしゃべりは控えてくれるようお願いできるところなのでそのとおりにしてもらえていて気が楽だったのだけど、周りの人たちは自分たちの思うようにおしゃべりするし、まあそれに対して私はやめろという権利はない。好きにしたらいいとは思う。でも内容がひどいと本当に辛いわけで。
その時私の隣りにいたのは、私より2歳年上の離婚経験が2回ある女性で、その人の恋愛や結婚にまつわるエゴ、芸能界の結婚事情について自分が思うエゴについてかなり赤裸々に話していました。知らない人たちしかいないところで逆に話しやすかったんじゃないかな。自分は他人の話は記憶に残らない性質なのかも。まさか隣りにいる人がかなりの情報をしばらく経ったあとでも覚えているとは思わないでしょう。まあ、覚えていてもしょうがない内容だったのだけど。
それをどうしても聴きたくなくてシャットアウトするために、頭の中で般若心経を唱えたのよね。そうしたら唱えている間はシャットアウトできた。でも途中で続きがわからなくなって集中力が途切れてまた耳に入ってきて、その人の親戚の結婚話は把握しちゃったんだけど。
でも般若心経にある語句を頭によぎらせていくうちに(上記の「三毒」も絡んでいます)自分に対していろんな戒めが出来てくるなあとも思うようになって。
私はバリバリの仏教徒でもないし(父親は宮司で山伏だけど)お婿のろくちゃんはカトリック教徒なんですけどね、自分の欲深さを知れば知るほど、抑えるための宗教って必要なのかもしれないねと先日も親友と話したところでした。
それにしても、おしゃべりもまた欲のひとつ。しすぎるのは体に良くないんだって、養生訓に書いてあった。おしゃべりの内容にもよると思うけれども。
沈黙の美しさを大事にしたい…ブログにはずらずら書いちゃうし、SNSには止めどもなくつぶやくんですが、本当なら発信しないのが美徳なのかもしれない。
今度は般若心経をきちんと覚えて臨みたい、と思っているんですけどお婿のろくちゃんは「寿限無とか雨ニモマケズとかでいいんじゃない」と。どっちも覚えている…