夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

とうとう診断を食らっちゃった

 

長い間「疑いがあるが99%ビンゴ」という状態で医者にかからず放置していたのですが、この度ADHDの診断を貰いました。

図解 よくわかる大人のADHD

図解 よくわかる大人のADHD

 

 こういう本は1冊も読んだことがない…

 

医者にかからなかったのは、自分のADHDは自分でさほど障害になっていなかったから。

部屋の掃除や整理整頓は超苦手だし、なんでも気が進まないと取り掛かりが悪いし、退屈するのが嫌いで、脳内は常にフル回転、遅刻癖がひどく、ガスのつけっぱなし水の流しっぱなし電気つけっぱなし、過集中で他のことを忘れがちで同じ部屋にいる人のことも忘れがち、逆に不意のちょっとした刺激にも気が散ったり。おしゃべりが過ぎてあとで落ち込んだり、ケアレスミスを挙げていったらきりがないくらい失敗を多くしてきたけれど、自分の性格とか育った環境がうまくマッチしていたんでしょうね、自分の駄目なところで追い詰められることはあまりなく、良いところがすごく伸ばされましてね。

 

うちは両親そろって高慢で性格が悪いので、私が他所の子と違うのを「そのへんの子と違う特別な天才」「風変わりは美徳」と思い込んで育てたので、女の子に生まれたのにあまりスカートを履かせず、男の子が着るような服を着せ、性別や国籍が判別しづらい名前をつけ(でもキラキラネームではなく美しいので長年人から羨まれることになる)、興味を持ったことは何でもすぐに憶えてしまう特性に気づいて早々と読み書きを教える厳しい保育所や書道教室に入れました。

勉強して理解したことはだいたい憶えてしまうところがあり、勉強も好きなのも良かったのかずっといい学校に行けたし。それでも授業内容を追い越して反復が嫌いだから授業中暇を持て余して周りの友達に話しかけたり一人で余所事をして遊んで迷惑をかける問題児になったあたりは親も困ったようだったけれども。

そのころに「ADHD」って障害があったらすぐに私は病院へ連れて行かれていたかもね。衝動性も7〜9歳ころにはあるにはあって、年に1回は学級崩壊を起こすほど暴れたし。

でも頭の回転が異常に速くて、合理的に同級生たちをまとめて引っ張っていく行動力もあるのでずっと学級委員をやっていたし、下級生のお世話もちゃんとやっていたので教師からの信頼は厚かったのよね…暴れていたのに。

そのへんの特性がうまく活かせて社会に出てもすぐに管理職に抜擢されて、長く管理職をやってきたのですが、3年前に長く務めていた会社の私がいた事業所がなくなることになり、本社へ転勤を進められたけれど他県に引っ越すのが嫌なのとそこがかなりのブラック企業だったのでいい機会だと退職し、ぜんぜん畑違いの仕事に着くことになってサービス業から事務と営業をやるようになったのだけど、仕事の処理能力が異常に速いのでそこでも滞りなく働いているつもりでした。

 

ADHDの美味しいところだけをうまく活かせて、駄目なところは経験則から工夫を重ねて健常者に近い生活をおくれて、遅刻癖というハンディすら「そうは言うてもこいつは成績がいい」ってことで目をくらませてきたのだけど、ここへ来て、外野がうるさくなってきて。

私の部署はフレックスタイム制でわりと気ままな出勤時間なので、一応この時間にでて欲しいというものはあっても遅れてもさほど問題がなかったのが、他の部署の暇な先輩が「あいつの遅刻癖はどうなっているんだ」と声を上げてきて、直接私をお叱りになればいいのに半ば陰口で私の同僚たちに文句を言ったり、果ては私の直属のボスに苦情を言いそうになったので、ここで一応診断をもらって、薬が出るなら出て遅刻癖を治せたらいいなあと思ったのですよ。遅刻は確かによくないものね、ってことで。

診断貰えばボスや同僚が私のことで苦情を言われても「あの人そういう障害があるから(って言ったら本当はいけないんですが)」って返せるし。なんなら自分でその人達の派閥にカミングアウトしてもよし。

 

で、先にボスにカミングアウトしたら理解のある方で「時間にはルーズだけど仕事は速いから気にしていませんし今の所迷惑がかかっていないのでどうにかしろとも思いません」という言葉をいただきました。

そしてADHDも診るという心療内科に行ってみたんですが…

 

私、眼圧が高いんですよ。緑内障ではないのだけど、緑内障にならないように眼圧下降剤を毎日点眼しているという状況でね…生まれつきだか、母方に外国の人の血が流れている影響かどうかしらん(なんか眼圧が高い民族がいるらしいね、よく知らないけど)

そういう状況の成人は、いま日本でADHDに処方できる薬はすべて摂取できないんですよ。なんだっけ、散瞳効果があるから?だっけ。なんか眼圧が上がるんじゃないかね。

 

ということで薬は摂取できないことになり、遅刻癖は自分で乗り越えるべき壁になってしまったのだけど、医者からお墨付きをもらったことでADHDは確定しました。

 

ADHDはその失敗体験の多さから自己評価が低く鬱に陥りやすいというけれど、私は親から天才として育てられ、授業中に他の子より先に勉強が進んで持て余して遊んでいることで苦情が出ても「それはうちの子が退屈するような授業をするからでしょう」って言っちゃうようなひどい親に肯定されてきたので私は自己評価が高く、自己肯定も適切に出来ます。過剰な自己肯定は他人を否定して成り立つのでよくないことも知っている。親がそうだし。

 

私にとってはそこまで負担になる特性ではなかったので、苦しんでいる人のことは理解はできるけど同じコミュニティに存在することは出来ないだろうな。困りごとは困らせたままに出来ない、折り合いをつけるかもういいやって投げ出すからな。成功体験や対処法を話したくても「親が天才だと思って育ててくれたので」って根本からおかしいし、いまからなんとかできるものでもなし。

頭の回転の速さは確かなので誰も私の仕事の速さのマネは出来ないし、サラッと1回見たことをすぐに覚えるとか1回やれば覚えるとかは誰でも持っているものでもなく、一緒に長く働いている人や一緒に過ごしている人はこっちが特に主張しなくても天才ってこういうのだろうなとわかっていたりする。

 

だから障害というのもおこがましいような。社会生活上困っていたら障害と呼ぶけど私のは障害じゃないって親友に言われていたし。どちらかというとギフテッドと表現するほうがふさわしい。

 

人間関係で躓くかも、と言われがちだけど、確かに私は深い付き合いの友達が少ない。それは「私が覚えているようには人は覚えていない」ことへの隔絶感とか、相手がどこまで憶えていないのか認識していくのが面倒くさくなってくることから生じたり、そこまで親密でない友達に丁寧に接するほど集中力がないので付き合いが長続きしないのが原因だったりするけど、それがネックにはなっていない。相手も気にしないで疎遠になっていくし、私は孤独を負担に思わない。付き合いの長い親友がたまたま心理学者になったり、私の個性のすべてを「おもしろい」と関心を持ち続ける人と長く遊んだはてに最近結婚したのでもう特に問題ないのよね。なんでも「ふつう」「常識的」でないといけないコニュニティの中で暮らしているわけでもなし。近所の人達も、祖父母が偉くて立派で大切に育てられたのでそれを踏まえて大切に寛容に接してくれるし。

他人が私をどう思うとほとんど全く気にしない性格なのもあるし、自分を退屈させるような人なら付き合わなくていいとも思える。子どもがいないから子供の人間関係を考慮して興味ないママ友と付き合わなくてもいいし。職場での付き合いも少し頑張ったがつまんないことには取り合わないことにしても特に差し支えなかった(いや、一時期悪い空気になったが私は構わず仕事をしていたら、空気を悪くした方から歩み寄ってきた)。メンタルがくっそ強いのよね…

でもそれは、他人を気遣うことを極力排除した結果による。気を遣うことはできるけれど、疲れちゃうし相手の気持なんて本当に全然わかんないから。だからSNSでの交流も極力排除してるのであった。疲れたらいきなり投げ出しちゃうところがあるから、それで迷惑かけるよりは最初からそんなに接しないほうがいいでしょう。

 

私は恵まれていることに感謝して、のんきに生きればいいので薬なんかいらんじゃろというなんらかの思し召しだと思ってとりあえず遅刻癖とごちゃごちゃうるさい外野への対処をしていこうと思います。