夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

「赤白つるばみ・裏/火星は錆でできていて赤いのだ」感想とか

 すごく首をながーーーーーくしてお待ちしていた本が発売されました。

 ジェンダーバイアスのことでトレンドに上がるまで連載されていることすら知らなかった。

 まさか続きがあるなんてね。(これだから単行本は売れても本誌が売れないからどうのこうのという現象が少なからずあるんだと思う。しかしなぜ本誌ありきなんだろう…)

赤白つるばみ 下 (愛蔵版コミックス)

赤白つるばみ 下 (愛蔵版コミックス)

  • 作者:楠本 まき
  • 発売日: 2015/05/25
  • メディア: コミック
 
赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)

赤白つるばみ 上 (愛蔵版コミックス)

  • 作者:楠本 まき
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: コミック
 

 この順序ははてなの仕様で正しく並んでくれないのでお許しください。

 

漫画家とかアシスタントだとかジェンダーバイアスの件で説明されていたから世界観は同じだけど違う人達が出るのかと思ったら、前作に出ていた女の子が漫画家になって憧れの漫画家のアシスタントへ臨時で入るという流れでした。

ユラノスケと音羽くんと椿さんをもうちょっと見たかったからそこは満足。

 

お話は前作の共感覚については一切描写がなく、どちらかというと人々の身に染み付いた思い込み、ジェンダーバイアスだけじゃないけどだいたいジェンダーバイアスについてとか。20代前半に読んでいたらまた違ったかもしれないけれど、20代になったら女は終わりと思うような人間ではなかったのでまあいま読んでもいいか!って感じ。エゴとか、自分は面白くて言っているんだろうけど相手は傷つきながら笑ってやり過ごすようなことを静かに解体していく感じがあり。

 

楠本まき先生といえば繊細で美しい人がおしゃれな服を着ているというイメージがあるけど今回はドレープは細やかだけどそこまでハッと目を引く服は着て…いない…、台詞が強めだからかしらんけど顔マンガになってるところもそこそこあった。背景が白い…

前作で椿さんの着ている服が悉く好みだったからそこが見たかったけれど、彼女は今作では主に作業をしていたからさっぱりした服ばかりだった…それでも椿さんは魅力的だった。漫画なんだからもちろん声はしないんだけど、今作のほうがワントーン高い気がする。強い台詞をいっぱい発信しているからかな。

 

「火星は錆でできていて赤いのだ」はまったく別の作品だけど、こちらでは結婚、選択的夫婦別姓とか、「赤白つるばみ・裏」でも結婚について話題にのぼっていたけどさらに焦点を当てていろいろ意見交換をしている感じ。だけど非常に身近な話。私は婿養子をもらっちったし。

 

メッセージ性があるけれど日常でじわっと感じるモヤモヤが中心だからそれを日々感じる人は憑き物が落とされるだろうな。私はたまーに私を女だと思ってナメてるボスの目を覚まさせたり、女は怒鳴ればいいと思ってるせっかちなおっさんを怒鳴り返す程度です。モヤモヤじゃない、燃え盛ってるね。だからクソみたいな世界をクソじゃなくしたいのは確かだけど漫画を読んだくらいではスッキリしない。ただ、やっぱり日々感じているいろんなことがスッとおちる感じはあった。

 

ジェンダーバイアスのかかった作品は滅びたらいいって話。

他の作品目当てに買った少女漫画雑誌をパラパラ読んでいて、人気の漫画家さんの漫画が載っていたんですが、今も昔も変わらん感じの好きな男の子がいてその子が振り向いてくれるかどうか、元カノの存在、二人きりになっちゃった!とかそういうサプライズとか。わかりますよ、ドキドキするの。でもさ。

この子たちいつ勉強してるんだろう?

って頭をちらつくんですよ。学生でしょ?なんか好きな男の話ばかりでこいつ盛ってるメスやんけと。それをふわっとさらっといろんなあまったるいもので包んでいる感じがどーも苛ついて映画化されたりアニメ化もされたしなんならいまも似たような内容の新作が映画化されるとかどうとかって話ですがまーたふわっと主人公が女なら気になる相手は男じゃろって話なんですよね。

そばにいて話を聞いてくれる女の子の親友と一緒にいたほうが幸せじゃない?って思わないのかな、とか…

 

まあそこまで掘り下げなくていい、なんならなんも考えずに読める漫画なんだろうけれども。

それを言ったら、赤白つるばみもセクシャルマイノリティは一応登場しない。男性の恋の相手は女性。女性の恋の相手は男性。マイノリティはマイノリティであるから、そんなにゴロゴロいないからいないところに登場人物の焦点を当てたともいえるけど。作中で恋愛しているかわからない人の性的嗜好はまったくわからないし別に踏み込まなくてもいい。

作中で20代前半の男性が37歳の女性と付き合ったりしていますが、それはね、現実でもありうるからね。

39歳のときに25歳の男性と3年間付き合った私がそこは保証しておきましょう…39歳のほうは決してコンサバでも大人の女感もないけれど、仕事はできました。そして25歳男性は初めて見たときに「こういう男の子と付き合ってみたいな」と思うくらい魅力的な眼鏡の似合うアスリートでした…向こうから声がかかったからびっくりしたけれどもね。

こういう、一見少女漫画みたいな展開は、どこにでもある!どこにでも!

 

友達(女性)の配偶者(男性)を「旦那様」「ご主人様」と呼ぶことに抵抗がある問題、私もいままさにそれに直面していて、親友も言葉がなくて仕方なく「旦那さん」って呼んでるところがあるんだろうなあと思ったり。下の名前を知ってるからべつにそれで呼んでいただいても構わないんだけど、私も同じように呼ぶかどうかはわからんんしな、一回しか会ったことがないから。親友の元カレたちはみんな最初から私を下の名前で呼んでくれていたんだけど、1回しか会わなかったのもほんの数分しか会わなかったから(販売業の仕事中に、結婚前の親友が里帰りして連れてきてくれたの。どうしても私に一瞬でも会わせたいと。歴代恋人のなかでも一番いい人そうだったな…いろいろバラエティ豊かななかでも)名前を呼ぶとかそんな関係性を築けなかったので本当にどう呼んでいいのか未だにわからないからしゃーなしで「旦那さん」と呼んでる…

ろくちゃんは親友から下の名前の君付けで呼ばれてるけどね。中学生の頃からの知り合いだからね。

作中のように「ご主人さまはいらっしゃいますか」と言われるときは「私です」って言うんだけど、そもそも名指ししてきても私の名前は実はジェンダーがはっきりしないので私の名前=主人と思い込んで電話してくるから私が自分ですが、と言っても戸惑われるという…

 

何も抵抗なく友達の配偶者を「旦那さん」「ご主人」、自分の配偶者を「旦那」「主人」と呼ぶような人にはならないままでいるので、ここを諦めるかどうかも人としての境界線のような気がする。選択的夫婦別姓に関してはね、本当に私はここで是を唱えたい!

私は自分の姓名の姓名判断が最強なんですよ。信じるかどうかはあなた次第だけど。それを言ったら両親も祖父母も曽祖父も偶然?全員同じ字画なのだけど、彼ら全員お金に困ってない人生を歩んでるの!そして長寿!

当てにならないことでもそれでわりと幸福が約束されているならわざわざ変えることないよね、と思うの。それだけの理由だけど苗字を変えたくなくて、結婚するにあたって抵抗があったんだけど、婿養子でクリアになったという…ろくちゃんは「どっちに転んでも姓名判断的に凶運」というひどい名前だから別に気にしないしこだわりもないと。

 

こだわりを持たないのが一番幸せかもしれない。かと言って思考停止は違う。

 

漫画のジェンダーバイアスは本当に根深い問題だなと思ったのは、今日もいま一番か二番かで人気のアニメをようやく最終回近くまで見ていたのですが、何話かな、主人公(男子)をリハビリさせる女性が「男の子なんだから」「女の子と出逢えば(恋をすればみたいなニュアンスだった)」と当たり前のように言っているんですよね。舞台が大正だからある程度仕方がないかもしれないけれど…こういうなんてことがないシーンでも、と思わずにいられない。原作の最終回で登場人物たちが結婚して子どもを作っていてファイナルファンタジーって言われていたしな…明治が舞台でも男性同士が恋愛をしてるのを適当に流し(その人たちの入れ墨は必要だけど)、国籍も生まれの民族も育ちも特にこだわりがない作品もありますけどね。なんなら動物にも手を出す…あれはあかん。

 

当たり前に思って疑問に思わないってのは罪悪よ。私は幼少の頃から親の影響で当たり前を疑ってきたけれど、そうでもない人たちとの乖離と齟齬が激しく、どこにいてもかっこよく言えばアウトサイダー、普通に言えば疎外感だらけだった。それでいいし迎合するのもなあ、と子供心に感じていたり。そんな私ですら、知らず識らずうっすらジェンダーバイアスがかかった考え方をしているし、なんかうっすらそれって優生思想じゃね?ってことを思索していたりする。そこに疑問を感じたり、抑制をかけられるからまだマシだけど、当たり前と思っている人だって多いというかそれが多いから息苦しいと思っている人も多いのであって。

 

でもそういう立場を甘んじて受け入れている人が、それで息苦しくなければそれでもいいと私は思うので、おかしいことはおかしいと声を大にして思うけれど、個々の人が平和に生きているのを揺さぶったり自分の考えを押し付けようとは思わない。

急激に変えると反発も多いものだから、じわじわと意識を変えていって気づいたらジェンダーバイアスがかかってない、ポリコレ当たり前の世界観の漫画ばかりになっていたらいい。その辺は創作する側にもかかっているけれど、「これがいい」って大きな声で言っていくのも大事だと思うのでどんどんいい漫画をいいと言っていきたいね。

でもなんか好きな人を好きでキュンキュン言ってる漫画も好きなんですけどねえ。

 

あとニュアンスが大分違うけど私も人は見た目が9割って思っていて、でも作中の音羽くんが嫌になるような理由でそう言ってるわけじゃないのは書いておこう…

清潔かどうか、どの程度整えているか、爪は健康的か、目を見て話すかどうか、眉毛を整えているか整えすぎているか着ている服の趣味嗜好は、靴の扱いは、小物の扱いは。声は落ち着いているか。髪の整え方は。

美醜は造形はあくまで土台でそれをどう扱うかで人となりはわかる…気がする。さすがにその人の職業を当てたり家族構成を当てたりはしないけれど、服のセンスに親の影響があるかどうかが分かる人はいる。お母さんが買ってきたのを着てきた人なのかとか。それをいいとかだめとか判断するんじゃなくて、そういう人なんだなーってうっすら思うだけなんだけど、見た目の情報は大切。自分への扱いは人にも跳ね返るからね。

 

って理由で、人は見た目が9割。腹の中なんか見えないものはわからないし、言葉はわりと取り繕える。見た目も取り繕えるけれど、どこを取り繕うかでわかる。

 

この作品のいいところは、それまで獲得した息苦しい考え方を徐々に楽な方へ受け入れようとするながれがあること。世の中の厄介さんはどれだけ自分が息苦しくてもそれを是として受け入れていて、それでもいいんだけど楽な方へ行こうと発信している人をガチ否定する。そして楽な方へ行こうと発信する人も、下手くそは意見が合わない人を否定する。そこをうまく、柔らかくみんな楽になれたらいいんだけどな。苦しむのがふつう、しんどいのが普通って思うところがある日本人だからな…

太古の昔から染み付いているおっさんの呪いなので、解除するにはそりゃあ時間がかかる。だからじーーーーっくり取り組んでいけたらいいね、日本はかなり遅い方だけど海外ではどんどん変わっていっている。逆にへんな歪も見えてきているけれど、急に変えようとするとそんなもんだなと遠くから見て思う。

私には子どもはいないけれど、いま生まれている人がジェンダーにとらわれることなく、なるべく偏見にとらわれることなく、いらんことで傷つけられずに大人になればいいよね。