夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

ガブリエル・ガルシア・マルケス 「百年の孤独」

タイトルと著者名でお洋服のブランドとか焼酎を連想する人が多いらしいけどコロンビアのノーベル賞作家の代表作です。

百年の孤独 (新潮・現代世界の文学)

百年の孤独 (新潮・現代世界の文学)

私のは前の前の版。新装するたびに値段はお高く、たぶんフォントは大きくなってるんじゃないかな。二段組にぎっしり詰まった文字におののくひとは割といて、私は前にこれを開いて目をくらませらことがある。20年前の時点で2000円だったものが、一番新しい版では3000円になっている。中身だけでなく価格まで敷居が高くなっちゃって。
百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

これはたしかマルケスの著作が未訳を含めて一気に単行本化された時に新装したんじゃなかったか。私は今のところ「コレラ時代の愛」と「わが悲しき娼婦たちの思い出」だけ持っている。他はだいたい旧版や文庫で持っているから。
わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))

わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))

コレラの時代の愛

コレラの時代の愛

この「コレラ時代の愛」には激しい思い入れがあって、長い間読めなかったので英語版を取り寄せたほどであった。なのに手にするとまだ読んでいないという…
20年前の時点で短編をたくさん、中編の「エレンディラ」を読んでいて、私は実は海外で一番好きな作家って具体的に挙げることがないのだけど、強いて言うならマルケスなんだろうけど「百年の孤独」を読んでいないうちはおこがましいよねと思ってやはり言えなかった。
昔読んだ時には166ページで中断していたのであった。たぶんね、大佐があれだけフラグ立てていたのに…ってホッとしたんだと思う。ほかにもいろいろ理由はあると思う。なんと言っても、これを読んだ人の多くが難儀するという「名前の問題」にぶち当たる。

この度わりと一気に読んでようやく雪辱を晴らしたのだけど、これは十代のころに読むより、老境に差し掛かり、一通り家庭環境の問題を直視したり、異性なり同性なりと悶着を起こすなどのある程度の人生の経験値を増やしてから読む方がイメージが膨らんで読みやすいと思った。
義理の姉に意中の人を取られて恨みに恨んだくせにいざその人と結婚できそうになるとなんだかふわっふわになる不思議女の気持ちはいまならわからないでもない…いや、わからん。罪深い人だとは思った。
名前の問題をクリアするとドップリとハマって読める。人間の生活なんて下世話なことなしにはないのだ、何しろ排泄は生きていたら毎日数回とつきまとうものな、性欲の処理もまた。なんてことを思いながら、魔術的リアリズムそのものの表現は呼吸をするようにごく当たり前に存在するのが楽しくて楽しくて。

名前の問題は、スマホのメモ機能を活用して新たな同じ名前の登場人物が出るたびに書き足していった。でもこれは読み進めていくとまあ仕方が無いと思うようになる。なにかとネタになるから苦労してもいいかもしれない。
お話の閉じ方は先日読んだ「幼年期の終り」に似ている感じがした。秘密が解明されたけど終わっちゃう。終わりは逃れられない。

長年の課題本で毎年「今年読む本のリスト」で一番くらいに挙がりっていただけに達成感と、濃厚なお話だけに深海の底で見たかったものを見つけて水面に顔を出して綺麗な空気を吸ったような満足感でいっぱい。
好きな下りは降りっぱなしの雨で魚が中空を泳ぐとかかな。
本来虫とか腐敗とかの生々しい表現は大嫌いなはずなのにここで生きて行くためにはつきまとう問題なのだ!と妙にすんなり読まされるのが不思議。書いている方が「ほら汚いだろう?気持ち悪いだろう?」って思って書いているわけではないからだろうか。
マコンドには本当に旅に行ったような気分になれた。本を読むことでいろんなところへ旅にいけると前の恋人が言った時にはスルーしたのだけどこれに関してはそうだね、と思える。決して住みたいとは思わないけどまた読みたい。意外に時間がかからなかったし。
やっぱり読まないとな、と思ったのでした。

学生の頃から大好きだったちくま文庫の「エレンディラ」の「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」に出てくるエレンディラは「百年の孤独」にもチラッと出てくる。彼女がマコンドにとどまっていたらまた運命も違っていたのかも。

エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

これもサンリオ文庫から出ていた頃があったのか。すごいなあ、サンリオ文庫