夜は終わらない

複雑に入り組んだ現代社会とは没交渉

アプローチの方法について

アバタールチューナー? (クォンタムデビルサーガ)

アバタールチューナー? (クォンタムデビルサーガ)

去年の10月にこの本が発売になった。
私はこの本を待ち焦がれていた。すごく面白いシリーズで、その最終巻。期待に胸を膨らませていたが、私には漢字検定の試験が控えていてこの本の発売日の数日後だった。
当然おあずけ。
そして試験が終わり、残念ながらそれは8点足らずにおちてまた今年も頑張って受ける予定なのだけど、漸くの開放感で本を手に取ろうと思ったけど、仕事で定例の会議に向かうために電車に長く乗る機会があるのでその時に読もうと思ってそのとおりにした。


会議のあるときにこんな、すごいテーマのお話のよりによって最終巻を読んではいけません。


当然電車の中では読み終わらないから会議中「どうなんねん…どうなんねん…」と心中半泣きで上司や同僚の話をメモに取る。ちゃんと会議にも集中する。だから心底「どうなんねん」を味わっているとはいえない。
会社で気心の知れているとはいえ、日頃の読書に盲目的な自分は押し留めて休憩中も上司や同僚と社交的に振る舞う。内心、泣きそうなのに。で、いざ自分から注目が離れたから読もうとしても仕事からなかなかスイッチが切り替わらない。


大勢人がいるところでは気が張る。しかもその会議のあと食事付きの会合もあった。華やかな仕事っぽいので豪華な会場で社会的に偉い人も集まる緊張する会合だった。しかもその道中、私の「ミミ」も一緒だった。ご飯はすっごく美味しかったし(うちの会社の会合は必ずご飯がおいしい)別になにも問題はなかったけど、本来人見知りで大勢の人とコミュニケーションを取ると次の日は決まって悪夢を見る自分にはなかなかハードな時間だった。


その帰り、開放感でいっぱいの中、この本を読み終わった。
確かに感動したし、満足もしたけれど、100%味わっていたわけではない、妙に物足らなさを感じた。作品のせいじゃない。読む環境に問題があった。私は集中力に欠陥があるからよけいまずい。


こういう場合にこれまで私がブログに上げたような距離感でこの作品を取り上げられるだろうか?
この作品に触れた時の自分の状況のほうが印象に残ってしまっている。
本のレビューっていろんな方法があると前から思ってはいたけれど、人間が本を読む以上、読み手にも背景があって受け取り方は千差万別なのだ。
誰が読んでも読みたいと思わせる内容のレビューもあれば、環境に負けましたという今回の読書体験もレビューになるかも。
この本は一応数年前に発売されたゲームの原作ということになっているのでゲームファンとしての立ち位置もあるし、声優さんに詳しかったらそこからのアプローチもあるだろう。

どれがこの本の面白さを伝えるのに一番最適だろうか。
そういう小難しいことを考えながらも、小難しいことを考えることすらあまりちゃんと集中できないからとぎれとぎれに答えを出すつもりでこのブログを作っている。
だから当分β版。

たぶんこの作品は近々ちゃんとした環境を選んで再読するつもり。より多面的なアプローチが出来るかな。
でも結果がたぶん、これまでの内容なので、大したことはないであろう。


それより漢字検定の勉強しないと!って集中が切れた。
漢字検定は私には遊びの一環で、勉強も遊びの一環。終わった後の開放感まで楽しさの一つだと思っている。
(ストレスたまんない?と以前人に言われたことがあってなんだか不愉快だったのであえて書いた。ストレスたまるくらいなら最初からお金を使って時間も使って漢字検定なんかチャレンジするもんですか)